2012年10月26日(八段語録1847)

教育の限界


 正しい教育論は理論としては持っているのですが、それが道場生に当てはまるかというならば、難しい面が多くありました。私が歩んできた極真の伝統を正しく受け継いでもらっているかというならば、限界があると感じるのです。道場生に対しても、自分の子供たちに対してなのです。
 私の道場を運営しようとする目的は、道場生に立派になってもらって家庭を完成してもらう事なのです。それを第一の人生の目的にしているのです。それが、人間本来の理想であり、勉強をするのも、恋をするのも、結果的に、良き家庭を築くためにあるという結論は曲げることができない方向性なのです。
 家庭を目指すという事はいったいどのような事なのでしょうか。子供を教育し、兄弟として育て、それから、子供たちを将来の夫婦になりうる教育をするという事なのです。その家庭を築かせてあげることが、大事な事であるのですが、私の人生を振り返って、それができているかと自分に問うならば、まだまだ足らないという結論を抱くのです。
 親として、子供たちを理想へと導いているかというならば、足らないことばかりなのです。息子・娘を教育できているかというならば、反省すべきことだらけなのです。人格的完成への教育を図ったかというならば、人間としての道理を守ることができる教育は、まだまだ不十分であると思うのです。それだから、息子・娘を見守らざる得ない時期が、今でも続いているのです。親バカなのかも知れないのですが、それでも反省と共に教育は祈るような気持ちで続いているのです。道場生に対しては、なおさらなのです。
 息子・娘を理想に一致させ得る教育は今なお続いているのです。息子が将来生きるべき、教本がまだないのです。娘を良き人生に導く教本もまだないのです。当然、私がどのように生きるべきかという教本も出ていいなのです。今一生懸命開拓しているというのが現実なのです。
 そのような意味では、今その教本作りに奔走しているというのが現状なのです。これから、私が歩んでいこうとする道が、家訓を築き、公式的な基準を作成して、よりよき教育方法を実践していくことになるのです。まだまだ不十分であるという事を告白せざるを得ないのです。