2012年10月25日(八段語録1846)
極真会館が道場生を教育する理由(3)
私は、多くの弟子たちを中心に、今まで極真会館の発展に努めてきました。その歩みは、すべての内容を投入するというものでした。心血を注ぎつつ、持てる物すべてを、弟子たちに仕えるように歩んだ思い出が残っています。
心身とも全てを投入しました。私財のすべてが、弟子を育てることのためだけにありました。それは、何の報酬も受けないという気持ちだけでした。私設の奨学金制度を自分なりに作りました。それは、極真会館の将来のために、背負っていくべき人材になると信じたからだったのです。
私の人格的価値は、弟子を中心として決定されてきました。したがって、指導者としての私は、道場生にとって、素晴らしい人物として映るように、一生懸命頑張れたのでした。道場生から指導者として尊敬され、道場生の信頼を一心に受けることで、純粋な極真精神の指導ができたのでした。
ある意味で、極真精神の純粋な世界は、道場生を通じて再確認されたのです。そのような教育をして、そのような教育を受けなくて、子供たちの精神が鍛えられないといって、委ねてくださったご両親もたくさんいたのです。
もうすでに、極真精神を身にまとった道場生は、誇りと自信に満ちて、まさに選民のように社会に貢献していくと思うのです。ある意味で、この道場生は、世間一般でも、精神のレベルの高い存在になるのではないかと思うのです。指導者と道場生が一丸となり、社会に対して雷が鳴り、稲妻が走るような、信頼の中心になるのです。
極真精神は、かつてはマスコミに取り上げられ、商業的に宣伝されただけでした。しかし今は違うのです。道場での稽古が夢中になれば、頭が離れても、足は離れません。誰も切り離すことができない、教育材料となって、人材を高めていくのです。世の中は、義なる道を立てて実践することは簡単ではありません。しかし、この極真会館は、真なる修行の道として骨を削るような稽古を通じて、無条件で社会に貢献する人格を形成するようになるのです