2012年10月23日(八段語録1844)

極真会館が道場生を教育する理由


 極真会館の武道教育に希望をもって、入門する道場生は多くいるのですが、しっかりと教育を受けなければ、道場が願う武道精神を持った人物には教育できないのです。道場としては、道場生一人を教育することは実に大変な事なのです。道場生が、道場訓と共にあるような、実体を求めるには大変な時間と労力かかるのです。
 私としての心構えは、「私が教育しなければ、武道精神を血肉に浸透させることはできない」という思いで必死になるのです。そのような意識で多くの道場生を教育してきたのです。そのような意味では、愛情を注ぎ続けたのでした。道場生が入門すると同時に、多くの空手道の技術を学ぶわけですが、それ以上に、もっと価値ある武道精神を教えようとするのでした。もっとも重要な武道精神が理解できるように、挨拶から指導が始まるわけです。
 ところで、私たちは空手道という技術教育をするわけですが、それ以上に教えなければならないのは、武道精神と共に、思いやりのある心を抱くように指導するのです。道場生が仲間意識を持ちながら、お互いが信頼し合う関係を築けるかを教育するのです。その原動力はどこからなされるかというならば、指導者の思いやりのある指導の基準から出発するのです。
 言い換えれば。武道精神が身に付くという事は、指導者の精神を受け継ぐところまで願われるわけです。つまり、成長して成熟する時まで続くのです。そのような指導を受けて、道場生が立派になるのです。だから期間が必要であり、労力もかかり、それが武道精神の教育基準という事になるのです。
 それでは、道場生はどのような姿勢を持たなければならないのでしょうか。常に指導者の後姿を研究しなければならないのです。毎日の道場での稽古を真剣に学んでついていかなければならないのです。どのような指導でもついていかなければならないのです。要するに常に、指導者と共にいるような気持ちを抱かなければ成長はないのです。そのようにして、道場が武道精神の伝統の母体となるのです。