2012年10月20日(八段語録1841)

教育の目標と指標


 過去の日本の歴史は、輝かしいものでした。日本が発展してきたのは、どのような内容であったかを教育するのも一つの指標として立てなければならないのです。そして今後、次世代を収集することができる一つの標準を立てなければならないのです。
 私たちが生活するにおいても、自分個人の目的を中心とするものだけの集団であっては、道場としての人材教育にはならないのです。あくまでも全体の目的のために行きなさいというのが、教育や道徳が志向してきた標準なのです。
、個人のために生きるよりも全体のために生きる立場に立つのが、人の道という事なのです。私の経験上、自己中心的な人は滅びたし、社会に貢献しようとした人は栄えていったのです。
 私も息子・娘のために人生を歩んできました。それは子供が社会に役立つことを願ってのことであり、子供たちのために苦労して汗を流したのは、私の事だけを考えたのではなく、これからの将来の社会のためという事が念頭にあったのでした。そのような心があって、子供を育てたのであるから、社会のために役立つ人材になって欲しいものだと願うのです。
 しかし、そのような立場に立ったからと言ってもどうすることができないという事を痛切に感じたのも人生でした。極真会館という道場の基盤が立たなければ、話にならないのです。そうしてこそ、未来が待ち受けているのであり、そうでなければ、過ぎ去ってしまうのです。そのように思うと深刻にならざるを得なかったのです。
 私の家庭は、極真会館という世界的な基盤の上に立っているのです。そしてそのような家庭として地域社会で貢献しているのです。町内中、極真会館のうわさは立っているのです。どうしてそのような武道を通じた活動をしているのかと問われることがあるのです。
 そして、道場に入門した道場生の家庭は、見習いたいと思い、教育を受けたいと思い、道場に出入りするようになっているのです。そして全家庭が世界の人々に認められるような家庭にならなければならないのです。それが教育の目標であり、指標なのです。