2012年10月17日(八段語録1838)

武道教育の意味(3)


 道場では熟のように、学力を向上させるという観点で指導するのではないのです。それも時間があったら教えてあげなければならないでしょう。かつての宮城県本部はそのように指導したこともありました。しかし、それが重要な事なのではないのです。人を育てるという事が重要なのです。
 道場生に、「このように人生を歩んできたので、この生き様のエキスを指導するから、私に従って、このようにしなさい」と言えなければならないのが指導者なのです。今の学校教育にかけている内容なのです。自信をもって、指導者が道場生を指導できるような生活をしなければならないのです。
 道場は、幼年時代から成長して青年になり、社会に進出し、社会で活躍する中でも教育する場所なのです。社会に進出するまでは、学校教育が柱となって教育するのですが、社会に出た人を教育するのは、武道精神という事になるのです。あらゆる情報が行き来している社会で、取捨選択をするのが、正しい精神を備えた人格という事になるのです。
 ところが、これが現代社会では倫理・道徳が破綻しているのです。情報社会の中で、性や快楽におぼれ、金銭的な面で生活をしようとする人が増えています。そのような社会に道義的な世界として影響を与えるのが私たちであるという自負心を持たなければならないのです。
 極真空手は、他の道場と違っているところは、はっきりとした教育の理念を持っていることなのです。道場生に尊敬されるような歩みをするという事が重要な意味と持つと思っているのです。その責任のすべてを持って道場運営をしたのが大山総裁であり、その伝統を継承して、活動をしているのです。責任ある指導者の行動からしか、道場生の成長はないと心に誓って日々を送っているのです。