2012年10月15日(八段語録1836)

武道教育の意味


 道場生をどのように育てなければならないかという事を考えていかなければならないと思うのです。道場生を大切に、立派に、社会人としてふさわしい人格者に育てなければならないのです。これが、極真会館の教育の指標であるべきなのです。
 それでは、極真会館での教育目標をどこに置かなければならないという事になるのです。当然空手道に秀でる強さが必要であり、生命力に満ちて、あらゆる能力のある人を育てようとするのです。しかし、もっとも大切なことは、多くの人に信頼される人になることなのです。そのように育てようと思えば、多くの人に心配りができるような人を目指させるのです。
 その信頼さえる人を分析するならば、人間生活の基本の家庭を形成されるような人なのです。夫婦同士が一つになれる人格を目指すべきであり、親としての愛情を育てなければならないし、あらゆる環境での調整ができる人にならなければならないのです。
 ところで、学校に行って勉強するにしても、どのように勉強をしなければならないのでしょうか。社会生活を営む上での基本的な社会の構造や自然界の妙味を深く理解し、把握するために勉強するのです。そのために、自分対して厳格に教育すべきなのです。道場生が、社会に出て行って働くのも、厳しい社会の風が吹き付けても、道場で鍛えた精神でもって、修行の成果を表していかなければならないのです。
 このように考えると、実力は短い時間で備わることはできないのです。すべてのことを経ていくことによって、実際に苦労して勉強することによって、実力を練磨するのです。学校へ行って勉強する目的は、先人たちが実践したすべての英知をそのまま受け継ぐためなのです。学ぶ事によって、英知をそのまま受け継ぐために、必要になってくるのです。
 それを、頭が良かろうと悪かろうと実際に実行しなければならないのです。結局、学ぶ事を実践することによって、それが自分のものになるのです。この努力する精神を鍛えるのが極真会館という事になるのです。