2012年10月14日(八段語録1835)

偉大な原則


 夫婦が一致すると、すべての困難な事でも、乗り越えられるという事を肌で感じてきたのです。なんでも調和が必要であると思うのです。眼が一つだけではなく二つあって調和しています。耳も二つの鼓膜が左右で響くようになっていますし、鼻も左右二つの穴があります。
 私も何のために生まれてきたのかと考えると、家庭を持ってみて、妻のために生まれてきたのかというのが正解のように思うのです。これはどうすることもできないことなのでしょう。妻のために生きてみて、どうであったかと、自分に問うてみると、安定して落ち着いた人生を送ってきたという事が出来るのです。
 家庭の日常生活を分析してみても、朝家を出て仕事に行くのですが、夜に妻に合うと嬉しく思うのです。家に帰ってくると、その日のあったことを妻に話すのです。そして相談して、間違ったことは直すようにしているのです。
 そのような生活をもうすでに、三十数年行ってきているのですが、精神的にも、肉体的にも安定しているのです。経験値からしか判断できないのですが、このような生活をしてきた自分が幸せであったと結論つけるのです。どのような能力もいらないのです。妻との関係性を保っているという事で、あらゆることが整理されてくるのです。
 そうすると、私の努力目標は、息子と娘を産んだだけでなく、私と同じような家庭をもってもらいたいと思うのは親心として当たり前なのかも知らないのです。妻をもち、家庭をもって調和するという事は、当たり前のことなのですが、あえて言うならば、偉大な原則が横たわっているのであると確信するのです。