2012年10月12日(八段語録1833)

極真空手の本質 指導者と道場生

 私たちにとって問題にされることは、極真空手に何があるかという事なのです。明確に極真空手観が確立され後に人生観が確立されるのです。そして自分の人生に新しい将来が確立されるのです。極真空手観から見た人生観を設定することはとても重要なのです。空手の形を見ると、動物や植物といった自然から学んでいるようです。それが半分以上にもなります。
 さらに、自然を観察するならば、ペアシステムになっています。限りなく分化されてもその原則は変わらないのです。そして、お互いが調和しているのです。すべてが存在し繁殖するすべての力なのです。そのような意味では、個人が心と体の調和を図っていくならば、成長していくという原則が見えてきます。
 家庭を見ても、男女のペアになっているし、子供が生まれるし命が繁殖するようになっているのです。そこで、極真空手が主張することは、主体の形成にあるのです。全体の責任を自分が担うのです。そして、道場生が行く道において妨害となす障害物を除去するように指導して、道を築き上げるのです。
 もちろん、道場生が順応すまいとしても、せざるを得ないよう、自動的に従ってこられる道を築いてあげる者となってこそ、指導者としての任務遂行を果たすことができるのです。指導者とは、極真空手道の修行を通じて、生命力が強くなければなりません。そうでなければ、主体になれないのです。更に愛情も内包されてなければならないのです。道場生から信頼されなければ、指導者の位置は失ってしまうのです。
 さらに、指導者は与え続けなければならないのです。すべてを投入して、投入したものはすべて忘れるのです。そうでなければ、あれだけ尽くしたのにという恨めしさだけが残ってしまうのです。そのような意味でも、男女問わず指導者は男性格であるべきなのです。最後まで切り開いて、自分を投入してこそ、極真のレベルが保たれ、本質に通じるのです。