2012年10月9日(八段語録1830)

極真空手と現代科学

 空手道は、心を強化しなければ、肉体が鍛えられないという事が前提になるのです。つまり、人間の修理工場のように考えるべきなのです。それだから、今まで、私が行ってきたのは、アシリベツの滝に打たれたり、流氷の上で稽古をしたり、北海道の石狩浜で寒稽古したり、さまざまの環境に身を置きながら、心を鍛えたのでした。
 肉体が強化されていくのが、日々の稽古でありますから、心を中心に体を治めようとするのもやむを得ないのです。それだから、「人に勝つより自分に勝て」という事になるし、「好きになってはいけない恋に」という事で、恋愛も我慢するのでした。
 人は心と体という、それぞれに異なる二つの存在を持っているのです。これが一致しなければならないのですが、同質になることが難しいのです。私は心の分野を研究してきました。それなりに成果を上げることができました。しかし、それだけでは、人生を戦えないと思えるようになったのです。そして、次に試みたのが、体がどのようになっているかという事を研究し始めたのです。つまり、解剖学や生理学を学ぼうとしているのです。
 何故、肉体の構造を知ろうとするのかというならば、究極的には個人として、どれだけ共同の福利に合致するかという事なのです。人体の物資的環境を知ることによって、どのように生活していったらよいかを考えようとしたのでした。
 当然、実利的な面もあります。息子聖義が接骨院を開業して、多くの人を救済するという事にも意識したのでした。長寿時代が到来している現代、肉体の治療をするのも、社会貢献であると思えたのでした。人を生かす道を、医学的にも対処しながら、対応すべき時と考えるのも無理なからぬ私の決断だったのかもしれないのです。
 過去は、領地を拡大して、民を治めてきた歴史でしたが、これからの武道に携わる者は、医療を通じて多くの人に役立つという事を考えるのも一つの道であるのではないかと思うに至っているのです。