2012年10月8日(八段語録1829)

幸福追求と自己矛盾


 人間の願いを叶えようとする礎を磨き上げるのが、空手道という事になります。さて人類数万年の歴史において、肉体を鍛えて生活を維持し、より理想に向かって文明が発達したことには間違いないのです。
 人が願う希望の中心とはいったい何でしょうか。それは、男らしく、女らしく、四肢五体を動かして幸福感あふれる生活をすることになります。その幸福感を中心として平和や自由や理想が連結されるはずです。
 ところで、このような幸福感は最初から始まらないのです。修行をしていく中で、本心で勝ち取るしかないのです。しかし、幸福という言葉を使うことができても、実際は幸福な生活ができないという事は、社会生活をしている人がすべて経験していることなのです。
どうして人間として満足のいくような生活が得られないのかという事になります。これが核心的問題になるのです。私たちの生まれる前から想像もできない戦争や、闘争の歴史が繰り広げられてきました。そして、自分の人生を見てみても、成長していく過程で無限な闘争の交叉路を経ながら生きているのです。
保護司をやっていて、何でこのような人が悪の欲望を達成させるために罪を犯したのだろうかと考えさせられることがあります。善人にみえる人なのですが、殺人や強盗といった事を犯してしまうのです。確かに、その人の心であり、体であるのですが、その時、魔が差して、分裂してしまったようなのです。
 しいて言うならば、精神的欲望と肉体的欲望があまりにも違いすぎるのです。人の心と体が葛藤し分裂し、相克するのは、私が取り扱っている保護観察処分の個人に限ったことばかりではないのです。それが、家庭であり、社会、国家世界の分裂と不幸へと引きずり続けているのです。
 このような事実を直視し、不幸の源泉を取り除き、健全な精神の道を開拓するのが修行の道であり、その一つに空手道があるのです。ただ技術だけを習得することだけで終わる空手道ならば、やらない方がいいのです。ダンスにしかならないのです。自らのあらゆる嫌う性質との戦いをすべきなのが、空手道の修行の道という事になります。それが、幸福への第一歩となります。