2012年10月6日(八段語録1827)

指導員の姿勢(2)

 理想的な指導は、「今日このように指導します」と師範に報告するのです。そして、そのレベルを維持しながら、極真精神に触れなければならないのです。そのような意味では、師範と相談しながら稽古を進めていくのです。さらに、この稽古を中心として、反応ある道場生を見極めながら、今日必要とする対象として、復活させる道場生を見つけるのです。 
 必ずいるはずなのです。そして私が全力を尽くしてその人を逃がさないようにするのです。当然、いつものやりかたで指導するという指導員もいるのです。それは、技術を伝達ができるかもしれませんが、人を感動させたり、復活させたりすることはできないのです。あくまでも、極真精神を中心として道場生に影響を与えるという観点に立たなければならないのです。
 このように、師範を動機として稽古をすれば、疲れは少ないのです。稽古する時間ほど楽しいのです。稽古を始めると、道場生が生き生きしてくるのです。表現としては復活するのです。ですから、私の実感では稽古が楽しいのです。
 過去に私は、道場生に注意を払わずに稽古をしたことがあるのです。多くの道場生が怪我をして、最後には去っていきました。そのような意味では、道場生に注意して配慮して心で稽古をしなければならないのです。師範から、私の代わりに指導してくれているという感謝の心を持たれるような指導をしなければならないのです。
 ゆえに、言葉と行動と理念と稽古や心は、極真精神であるという事が出来るような指導をしなければならないのです。しっかり指導すれば、道場生は感化を受けるのです。人からの受け売りでは、絶対に感銘を与えることはできないのです。実体をさらして、真実に稽古をするのです。そうすれば、自分の稽古として伝わるのです。