2012年10月4日(八段語録1825)

指導員の立場

 指導員の立場は、自分が指導するという直接的立場ではないことを十分に理解しておいてください。あくまでも、間接的な立場なのです。ですから、間接的な立場という事は、いつも大山総裁という直接的な立場を忘れてはいけないという事なのです。その立場を自覚して初めて、気持ちの問題の一致点をもたらすことができるのです。
 何を言おうとしているかというならば、指導者として教室を任された立場において、それは、自分自身の能力で指導するのではないのです。あくまでも、大山総裁に近づいた自分の立場で指導するのです。つまり総裁の代わりに指導するという事を徹底しなければならないのです。そして、何かを指導する時も、大山総裁であったら、どのように指導するだろうかという観点に立たなければならないのです。
 このような観点から考えると、私だったら、森義道という立場に立って指導してはいけないのです。極真空手を伝え、大山総裁を伝え、実体としての「極真空手」を伝えなければならないのです。極真会館の事実を伝えなければならないのです。
 もちろん、指導するというところには、情熱という力が投入されなければならないのです。情熱だけではなく、指導者の愛情もプラスされなければならないのです。理由は簡単です。極真会館の出発は、第二の大山総裁を道場生に求めていくことですし、空手道の理想を成就させようとするものなのです。ですから、自分が培ったすべての指導力と人格的要素はもちろんのこと、全人格のすべてを投入しなければならないのです。それが、正常な指導の原則なのです。
 私自身もそのようにしてきたのです。必要なものは、自ら自分の生命を投入するところから始まったのです。思いを尽くさなければならないのです。精神を尽くさなければならないのです。心で投入して初めて事が成就するのです。