2012年10月3日(八段語録1824)

極真空手の意義

 極真空手は、道場で継続することで、一回よりは二回、二回よりは十回、十回より百回すれば、稽古した回数に比例して、痛快さを感じるようになるのです。また、試合で稽古のどの部分を用いて、誰とでも試合しても、対決できる実力を備えるようになったことがわかれば、喜びは限りなく広がるのです。
 極真空手をこのように鍛錬して心身ともに鍛えた結果を振り返って、自分の実力が増進する喜びを感じることができるようになり、稽古した意欲が益々増えていくのです。そのような稽古を目指さなければ、何ら意味を持たないのです。
 したがって、各指導者が各教室で計画を立てて実践するときに、道場生の実力を増進させ、培養するという立場で努力するならば、道場生は無限に成長していくという事を心に刻まなければならないのです。
 繰り返すようですが、稽古で極真精神の奥深いところや、高い広い内容を習得することができ、あらゆることに判断できる能力を身に着けることができるのです。稽古で自分に要求されるものや最も必要なものをすべて、自分のものとして選択して活用できるようになるのです。
 優勝した道場生を見るならば、誰もまねできないくらいに反復した道場生なのです。才能は二の次で、反復こそが生命線なのです。私はこの信念は曲げないのです。それが、私の結論であり、それが真実なのです。ですから、稽古をどの位たくさん繰り返したという事が、人格面であらゆる成長も期待できるのです。
 結局、稽古の回数がその道場生の成長に比例するのです。それはほかでもない科学なのです。盲目的に強くなるのではないのです。方法がすべて組み込まれているのです。そのような道場を目指すように各指導者にお願いします。