2012年9月28日(八段語録1819)

柔道整復師(4)誇りある権能

 年齢的に充実してきていることは、事実なのです。自然に関心を持ち、海に山にと積極的に関わりを持とうとするのです。その出発点に人間を置きますので、このように医療に力点を置くという事は、間違いではないように思えるのです。もちろん、人間関係の円滑に力を注ぐわけですので、人の心の理解が最優先するのです。
 この医療行為は、施術という事でも、人助けになりますし、具体的に医療行為に関わりを持つのですから、大切な役割を果たすといって過言ではないのです。柔道整復術ということですから、身体の急性、亜急性の原因による各種の損傷に対する施術という事になるのです。骨、筋、関節を主体とする運動器、つまり骨折、捻挫、打撲や軟部組織損傷の「患部」あるいは「受傷部」に施術するようになるわけです。
 このような勉強をしようとすることを、誰からも指導されてはいないのです。それが正しいことなのか、どうかについては、誰も教えてくれないわけです。時には、妻からも否定されることもあります。そのような意味では、自分で見分けをつけなければならないという事になります。
 ただし、自分のスタンスとしては、どんな人でも、付き合って強調して自分がコンパスのようになってその中心になって指導できるのです。このような医療行為をしようとするという事は、慈悲の心を持てるようにすることであり、善なる心が雪のように積もっていくと感じられるのです。すなわち、より高い次元の自分に向かって進んでいくように思えるのです。
 さらに、この医療行為は、医師である場合を除き柔道整復師でなければ、業として柔道整復を行ってはならないと規定されているのです。つまり、この医療行為は独占を意味し、規定しているのです。さらに、各健康保険法に基づいて保険適用にもなるのです。このような魅力的な仕事を目指すという事は、自分の人生を歩むことに十分にプラスになるのです。
 このように権能のある医療行為には、魅力を感じざるを得ないのです。実に業務範囲は厳格に規定されていますが、それでも、特権であるに違いないのです。もちろん万能ではないにせよ、医療行為を認識し、限界を厳密に見極めるようにすれば、社会貢献に間違いない人生を歩めるのではないかと思うのです。