2012年9月26日(八段語録1817)

柔道整復師(2)誕生日 五十九歳


 もともと、日本は医療技術を国家事業として中国から多く取り入れたのでした。隋・唐の医書200点から百余家の節を収録した「医心方」丹波康頼984年の我が国最古の医書を見るとその影響は明らかなのです。この「医心方」の第18巻は、脱臼、骨折、打撲、創傷などについて記載されているのです。
 もうすでに、日本古来の「接骨の業」は、伝統的な「文武」の道を通じて継承されると同時に、中国からの技術の導入があり、この時代に「柔道整復」としての基本概念ができているのです。武道もそうですが、中国からの影響は大きいのです。
 ところが、今の中国を見ると、覇権主義にこだわり、尖閣では日本とぶつかり、共産党一党支配という馬鹿げた国家になっております。毛沢東の近親者で築かれた108家族が中心となって統治される国ですから、その恐怖政治が、この現代でも通じるのですから、あきれてしまいます。そのような馬鹿げたことが、今でも通じるのですから、共産主義の残骸が、いまだに生きているという事に不思議さを感じざるを得ないのです。
 さて、話を「活法」に戻すならば、江戸時代前期、柳生石舟斎宗厳の門弟で福野正勝が陳ゲンピンから少林寺に伝わる拳法を伝授され、「良移心当流柔術」から活法を広めていったというのです。さらに江戸の時代が移り変わる中で、南蛮の医学が伝わり、西洋の医学が細々ながら導入されたのでした。結論として、江戸時代末期に接骨術は体系化されたというのです。
 だから何なのかということなのですが、江戸時代に接骨術が確立されたという事なのです。ところで、今日は私の誕生日です。もう昔風の歳の数え方では、還暦という事になります。なんで、このような学問をするのかという事を自問自答もするのですが、良心の叫びという事なのです。このような事を学ぶことで、極真会館が良くなるように思うし、多くの人を助けることができればと思うのでした。
 学ぶことを、極真全体の事に活用することで、自分の持っているものを、すべて分け与えたいという欲求にかられるのです。そうするのが人生であると思うようになっています。
人は、あらゆる技術を持っているところ、あるいは、愛情が多いところに集まるものです。そんな環境を築きたいと思っているのです。
 このような私の努力が、例え失敗しても、それは失敗にならないと確信するのです。必ず他の面で成就されるものもあると思うのです。たとえば、息子がこの学校を卒業して社会に役立つとかという事も考えらえるからです。誕生日に思う事はそんなことです。