2012年9月25日(八段語録1816)

柔道整復師(1)


 脳のトレーニングを兼ねて、国家資格を目指そうと思うのですから、まだ精神的には若いのかもしれないのです。動機は、息子が中々卒業できないことで、そんなに難しいものかという事で、始めてしまったのでした。それなりに、結構面白いものです。もう学業に入ってから、6か月過ぎましたので、面白半部から、本気を出してしまう時期になったので書き始めようと思った次第です。
 もちろん、自分の頭の整理をしなければと思う事もあって、書き始めるものですから、読みぐるしい点もあると思います。ご了承ください。何度も教科書を読みながら、国家試験に臨むのです。それだから、理論の暗記という事です。具体的に技術面では、現場に入ってからという事なのですが、治療院で「骨接」をするかというとそのような事は考えていないのです。
 ただ、極真会館の指導者として、この分野の開拓も必要であろうと結論つけたのです。空手の技術と、人体について理解して治療の技術を身に着けることは、何かしら今後活用にできるのではないかという事が本音です。内容は十分にマニアックです。それだから関心のない人は読み飛ばしてください。私にとって極真会館のためになればいいと思うのと、国家公認として、治療行為ができるのですから、学ぶことに意義を感じるのです。
 ところで、そもそも柔道整復師がやることは、医療という事になるのですが、実証的医学という事になるのでしょう。この分野は、日本民族の伝統と精神、古代より「武」を中核精神として形成されたので、この精神が伝統と共に引き継がれたのです。そのような意味でも、空手家の私として学ぶことに意義を感じるわけです。
 私たちの求めているものは、文武両道ですから、この柔道整復師という分野は、あえて言うならば、「文」として捉えることもできるのではないかと思うのです。また別な観点でいうならば、空手道はあくまでも「殺法」であります。しかし柔道整復師の、この分野は傷ついた者への医療ですから「活法」という事になるのです。これは、ある意味で「文武」の道としては表裏一体という事になります。空手道は時代の変遷とともに、精神修行の手段として、その技を護身や競技に組み入れられて、活法は柔道整復術として発展してきたという事と定義して学ぶ動機づけにしたのでした。