2012年9月24日(八段語録1815)

大切なもの


 娘と共にチラシの配布へ出かけるのでした。朝の修行はつらいものがありますが、肉体に鞭打ちながら、最前線に身を置くことに、全力を傾ける日々が続きます。いつも考えるのですが、自分の歩みが、自己中心主義であってはならないという事です。位置に胡坐をかくとろくなことにしかならないのです。
 人のためになっている歩みをしているかという事が、自分の判断基準になるのです。誰かのために自分を犠牲にしているとするならば、心は気持ちがいいのですが、自分のために誰かを犠牲にすることするとなると、何か心は不安定になってしまうのです。一時的な自己満足では、喜びは半減してしまうのです。
 日々の生活の中でも、大切な一日を歩もうとすると、何をやっているかという事を誰にも知らせずに、コツコツと始める習性がついているようです。誰にも、恩着せがましくするのではなく、無条件に与えようとする気持ちが、心の安定につながるものです。そして、この行動は後悔することはないのです。
 ところで、この年齢に成ったからと言っても、財産を売りとばして整理しようとする気持ちは出てこないのです。何もかも大切に終いたいという心になります。大切に人生を歩みたいし、自分の家庭も大切に心の中心に置きたいと思うようになるようです。人間の欲望は、幸福な気持ちや幸福な家庭を所有したいし、大切に取っておきたいと思うのかもしれないのです。
 何か、自分がテレビや新聞に掲載されるようなことは望まなくなるものです。表面に現れるよりは、大切な幸福感や愛情を所有して、静かにしたいとも思うのです。良き精神状態とは、大切なものを大事に取っておきたいと思うのかもしれないのです。
 そのような思いがするのですから、仕方がありません。大切なものを心の中心において、生活をエンジョイしたいと思うのは私ばかりでしょうか。