2012年9月22日(八段語録1813)

道程


 人生は一歩一歩という事なので、例え遅れようとも、その責任を持つならば、問題はないのです。いい加減になることが、一番よくないことなのです。人生は、慕わしい道であり、それが消えたりしたならばおしまいなのです。それゆえ、常に実感のこもった、衝撃の中で生きなければならないのです。
 生きるという事は、ただドラマのストーリーを追いかけるようなものではなく、自問自答しながら、何をしているのかという事を考えるのです。そうすることによって、何か偉大なるものに触れることになるのではないかと思うのです。
 さて、生き甲斐や、遣り甲斐は、何か目的のために一生懸命になって、死んで倒れても、本気になってやっていくことに、意味があるのです。考えれば、太陽の軌道は、毎日変わらないのです。たとえ私が眠っていたとしても、誰も見ていないとしても、自分勝手に動かないし、しっかりと東から太陽が昇るのです。そのような生き方を求めているかのように、太陽は教えてくれるのです。それが、本気になってやっていくという事でしょう。
 私は、おりしも、極真会館の発展という事に夢を抱いたのでした。この理想は、私の理想となり、その発展のために、思いを馳せながら、完結を目指しながら歩む人生になったのです。私は、大山総裁の目的と、手塚会長の目的、そして私の目的との三点において、直線的に理想を追い求めているのです。このことによって、私のこの夢に対する態度は熱心になり、前進するようになっているのです。
 そして、この環境の中で、理想と共に時は過ぎているのです。今日も前進しているのです。そして前進しなければ、理想は失われてしまうという心配が頭から離れないのです。時は間違いなく流れていくのです。今のこの時を大切にしながら、一度しかない人生を、前進しなければなんら意味を持たないのです。私の個人の使命は理想を果たすまで終わっていないのです。それこそ、極真会館の理想に向かっていく自分があるのです。