2018年12月25日(八段語録3433)
強く雄々しくあれ
極真会館手塚グループは、手塚会長が語られてきた約束の教えを基準に「どう歩むか」という視点で推し進めています。
私達の歩みは、会長の教えの基準から逸脱している状態がないようにという事です。
特に、不倫や姦淫の不道徳、そして家族を破壊する行為はすべては戒めるのです。
さらに、そのような「指導者は除名する」としているのです。
それは、今の私という会長の立場であっても例外ではありません。
私は、手塚会長の基準に立ち戻ることでなければ、「手塚グループでない」と指導するのです。
そのために、心して日々を歩んでいるという事にもなります。
手塚会長の教えを、私自身、二十数年間心に叩き込んだものとしての行動をしているとう自覚をするのです。
しかし、極真の歴史が物語っているのは、多くの道場生が、この修行についていくことができなく、安易な道へ走って、結果道場を離れていったという事です。
要するに、自分の安易な価値観が逸脱する行動を起こしてしまったのです。
優秀な人材が、道場から完全に姿を消してしまったことは、私が目にした光景でした。
ところが、最近不思議な現象が起きているのです。
それは、多くの道場生が去ったのですが、心ある道場生が、再度リセットされて道場の門を叩こうとしているのです。
それは、とりもなおさず、手塚会長が「放蕩息子の物語」を例にあげながら、再び戻ってくるという計画のうちにあったように思うです。
というのも、「修行していないと災いが多いことに感じるというのです。」
また、どのように人生を戦っていいのかということも不明確になるのです。
さらに、「稽古そのものが、平安を与えているように思える」と証をするのです。
具体的に、心を尽くして稽古に打ち込むときに、新たなるライフスタイルを築くことができるという事のようなのです。
さて、私たちは、手塚グループの建設の一端を背負っているのです。
そのために歩みが、日々の稽古であり、それが綴られると歴史であるという事なのです。
それ故に、理想に向かって、大海を渡っていくという事でしょう。
その大海の向こうには、極真精神で綴られた理想の家族が現れるというものです。
それは、家族を大切にする手塚会長の理想が表現されるのです。
まさに、自分の人生で体験して、所有とするわけです。
そのためには、不義なる習慣を追い出して、良き家族として占領しなければならないのです。
とりもなおさず、「占領する」をはじめ「不道徳を追い出す」「染まらない」「家族として占領する」「手に入れる」「相続する」「受け継ぐ」という事は、すべて同義語なんです。
そのための、極真手塚グループにおける稽古の修行であると心得ているのです。