2018年12月11日(会長語録3425)
手塚会長の三回忌をもって極真九段の継承

 極真手塚グループの継承者として、手塚会長に似せて継承することになりました。
このグループを継承するための、特別に運営することができる特権に預かったのです。
いうまでもなく、栄光のしるしとして、このグループを統括する権威が与えられたのです。
これは、私が手塚会長の代わりに、関わり合いを持つ舞台設定をしてもらったという事です。

当然、私が一人で運営するという意味ではないのです。
それだけに、役員や理事という「ふさわしい助け手」がいるという事です。
相談しながら、瞑想の時間を多く持つという事にもなるのです。
一緒に支えて下さるスタッフが共に存在するだけで、孤独な存在にはならないわけです。

「向かい合い、交わるべき存在」と共に、手塚グループのかたちを現わし得るというものです。
つまり、「対等に向き合えるパートナーの存在」がスタッフにいるという事です。
これこそ、私の「骨からの骨であり、肉からの肉」という事なのだと思っているのです。
瞑想の時間が多くなるのは必然なのですが、対等に向き合えるパートナーの存在は大きいのです。

間違いなく、私は骨や肉ですから、弱くてもろく、不完全な人間存在なのです。
だから、私が頼らない限り運営できない弱さがあるという事なのです。
スタッフに頼らざるを得ない弱さ、そのことを誰よりも自覚しているのです。
このことを自覚して、今大切な手塚グループのミッションに取り組んでいきたいのです。

 さて、強固な手塚グループの型を形成しなければ、グループが破壊されかねないのです。
世間は、「最も狡猾な存在」として、私たちに戦いを挑んでくるのです。
それによって、このグループの弱さが、もろに出る結果にもなりかねないのです。
私は、世間知らずだけに、多くの人の甘言に対して、信じてしまう結果になりかねないのです。

また、責任を持つ立場でありながら、自己弁護をしてしまうかもしれないのです。
私の勝手な判断は禁物なのです。
当然、スタッフとの交流を重視していかなければ、勝手な知識を振りかざすかもしれないのです。
そして、自由意志という事と権威をいいことに、「狡猾な存在」の支配下に置かれるかもしれないのです。

このグループの統治権は、あくまでもスタッフとの交流によって、もたらされるべきであると思っているのです。
このグループの権威を剥奪されることは断じてあってはならないことです。
間違いなく、悪意を持った人達がいて、私の頭を踏み砕き、かかとにかみつくのです。

それだけに、手塚会長の残してくださった伝統を信頼し、生涯最後まで「弟子」として生きる生き方を貫きたいのです。
この生き方は、一朝一夕に作られるものではないことは重々理解しているのです。
これから、多くのつらい試練をくぐり抜けながら確立していきたいのです。