2012年9月21日(八段語録1812)

家族と生きている事実


 私が生きているという事実を問うのです。今生きているという事が事実ならば、生きているという状態が、自分の本心を反映しているかという事を反省しなければならないという事になるのです。
 当たり前に、自分の家族の事を考えると、この肉体を精神が管理し、精神が倫理道徳に対応して正直に、進んでいるかという事をチェックしなければならないという事になるのです。というのも、私の人生の目的が家庭であり、人間として生きがいを家族に持っていきたいからなのです。
 それゆえ、すべての思考を、家族を中心とすべきなのだと思うのです。家族を思う事で真心を尽くしやすくなるのです。家族の事を振り返ると、笑いがあり、涙があり、あらゆる場面で、感動の日々を綴ってきたのです。今や、わが家族は誰にも振り向かれなくても滅びないという絆を築いてきたのです。
 思えば、家族と共に、生きている関係に真実があり、生命が躍動していることを実感し、さらに愛情に満ち溢れていると感じるのです。私の愛の蓄積は、まさに家族という単位にされているという事になるのです。実感の世界ですが、目は家族を見つめ、生活は家族と共にあるということになるのです。
 ところで、私が心に誓っていることがあるのです。もし、夫婦として、家族として、今の自分が、ぶれる様であるならば、生きた屍になるのではないかという事なのです。そのような、姿は家族には見せたくないのです。だから、浮気も、不倫もしたくないのです。
 家族と共に交通事故にあうのであればいざしらず、家族から見放されて敗北するような道は行きたくはないのです。家族が滅びる原因は絶対に作りたくないというのが私の決意という事になるわけです。
 家族を守るために、いかなる覚悟ができているかという事が重要であるのです。母のためにも心配するのですが、それ以上に家族の事を思い、私の責任を果たそうと思うのです。かつて、妻を探すために、茫々たる海の中で砂粒を拾うと同じような奇跡的出会いが起こったのです。決して、失わないという事を前提にしなければならないのです。