2018年11月14日(八段語録3419)
健康に良い農作業

 来年のジャガイモの土壌を作るということで、作業していました。
雲一つない小春日和の温かい日差しが、眩く農地を照らしてくれていました。
耕運機で耕して、土を肥料と混ぜて、肥沃な土壌にするのです。
喉かな里山の景色も、紅葉で色とりどりで、冬ごもりの最後の輝きを見せていました。

自然は、素晴らしい恩寵を与えてくれるのです。
その恵みに、全身で受け止めることができるのも、農業の醍醐味です。
農作業は、自分を顧みることができる最高の場所であり環境です。
何もかもが、輝きを増して空と大地に溶け込んでいくのです。

八月から九月にかけて、植えていた白菜や大根たちは、もう収穫の時期になっています。
雑草に負けることなく、大きく育っているのです。
基本、無農薬の自然栽培なので、虫は尽き放題なのです。
それだけに、おいしい野菜たちという事にもなります。

それにしても、野菜たちは自信満々に育って、大きいのです。
私も野菜たちを手塩にかけて、育てているという気持ちが強いので、うれしいのです。
農作業の苦労が一挙に報われるのは、収穫の時なのです。
それも、近所の人たちに配るのですから、贅沢な趣味という事にもなります。

 さて、このような自然の恵みは、誰のためかというならば、まぎれもなく私のためです。
私が優れているというのではなく、ただ農作業をしているという事だけなのです。
自然がすべて備えてくれて、ただ一日農作業をしているという事だけなのです。
私の様々な心の葛藤を、ただ農作業して、その場にど止まるという事だけで恵まれるのです。

私の心と体は、この里山の自然を満喫して満足しているのです。
何よりも、農作業ということで、自然の真っただ中に、一日中私を置きっぱなしでいるのです。
それだけに、生命の価値を自然は引き立ててくれるというものです。
静寂の中から、この時間に生命の価値を感じさせてもらっているのです。

実に、自分の生命だけに繋がってくれている大自然なのです。
また、いつの間にか、心の世界まで支配してくれて、美しい思いになるのです。
いつの間にか、私自身、本性の人、本質な人に変身しているのです。
新しい、私が現れるというものです。
自然の中にいると、人間が劣っているとか優れているという事は全くないのです。
優れているいことが、何の役にも立たず、劣っていることが引け目にならないのです。
ただ、生命が畑の真ん中に転がっているということになるのです。
いつの間にか、心が爆発する時間を持てるという事だけになるのです。
そのような時間を一日中過ごすことができました。