2018年11月12日(八段語録3417)
選手登録締め切りまで

 心が通じる手塚グループという発想で世界大会の動員も締め切りまじかとなりました。
当然、親がいて、長男がリーダーシップを取っていくという家族総動員での歩みです。
もちろん、「私」も大切ですが、それ以上の家族概念を抱いていくのです。
手塚文子代表に、現状を報告をして、いろいろと対応しているのです。

手塚会長を支えてきた人生を送ってきているので、的確な観点をもっておられます。
それだけに、グループの会長として責任を持つのですが、手塚夫人に相談をするのです。
手塚会長の意志を受け継いでいく運命に置かれているので、的確な判断が必要になります。
私の指導力を発揮するのにも、助言が必要という事です。

主張できる何かを持ったとしても、このグループに叶う相談をするのです。
かつて、手塚会長との電話での会話なのですが、的確な指導を受けていました。
頼りになるのは、手塚会長との二十数年の絆なのです。
今は、長年連れ添って家族を守ってきた手塚夫人ということになります。

最近、聖書にはまって読んでいるのですが、綺麗事の史実ではないのです。
要するに、仁義なき戦いの連続という史実を目の当たりにするのです。
世の中そのものが、聖書には描かれているという事です。
それだけに、一つの判断が命取りということになるので、夫人との相談は必然なのです。

 というのも、手塚会長は教会で洗礼を受けて、今の夫人と結婚したのです。
動機は、一目ぼれで手塚夫人が先で、その手段として必要に迫らての洗礼と聞きます。
当時の牧師さんから、夫人の信仰を邪魔しないようにと釘を刺されたのでした。
それでも、手塚会長も聖書を読んでいた事もあって、人格のレベルが高かったのです。

けれども、江戸っ子気質は失われることなく、悪に対しては許すことなく戦うのです。
極真会館での遺言書での裁判は、最高裁で勝ち取るまで、怯むことなく勝利したのです。
この裁判が勝利しなければ、分裂はなかったという事にもなります。
手塚会長は、自分の困難を申し立てることもなく、無限に苦労したのでした。
物悲しく、哀れな境地も通過されながら、勝ち取った裁判での勝利でした。

そんなレベルの人生を相続しなければならないのですから、私も大変です。
ある意味で、手塚会長の心の中に「私」が染み込まなければと焦る思いにもなります。
今でも、手塚会長の前に、頭を上げることができないような立場であると自覚するのです。
そのような気持ちで、今の現状を乗り越えて、制御しようとしているのです。
残りの制限された日数のなかで、選手登録が終わります。
手塚会長に恥をかかせるような事にならないように、栄光の宝座を迎えることができるように祈るばかりです。
大会を迎える時には、手塚会長と共に、喜ぶことができるように願うのです。

 今私の心を去来するのは、面目ない顔と視線にならないように歩むだけという事です。
私の不足である手を差し出すだけでも、何とかなるようにと祈る思いです。
今後の戦いも、ひとえに、手塚会長の力を借りるだけです。
そして、栄光の目標になることができるようにという事です。