2018年10月22日(八段語録3411)
極真空手の形を社会に表せるように
極真空手の形は、私にとって、大山総裁に似るということが第一目標になったのです。
その形は、実に私たちには難しい課題であったのです。
理想と現実はかけ離れていたのです。
少年マガジンで劇画化されているような様子では無いのです。
本部道場に通いながら、総裁が道場に降りてきて稽古しましたが、まったく違っているのです。
当たり前に、現実の世界と劇画の世界とは違っていてたのです。
それだけに、現実を直視して、極真の道を歩み始めたということも真実なのです。
こうして、年齢を重ねて、極真の道を歩んできたのですが、未だに、完結できないでいるのです。
それ以上に、もっと大きな世界が広がり、極真の形も無限大に広がりを見せているのです。
年齢を重ねるにつれて、極真空手で成長するのも、高齢者として終わりであるように思ったのです。
ところが、六十五歳になっているいまでも、極真空手の形に対しての、向上心は高まる一方なのです。
日々の中で、何か一日を待ち焦がれているような日々になっているのです。
まだまだ、終わっていないし、栄光の日は遠い未来にあるようにも思えるのです。
私自身の肉体を築き上げて、その土台で心をどれだけ創造できるかということです。
誰からも受け入れられる人格を目指そうとするのも、極真の形であると思うです。
勝手に自分で築いてきた心で、世の中を照らす光のような形ができればと思うです。
できるだけ、極真空手に所有される道を目指すために、より高度な形を目指すのです。
改めて、内容はともあれ、極真空手ができる身体を与えて下さったことに感謝です。
精神力はもとより、肉体が極真のあらゆる修行に持ちこたえることができたのです。
未熟な私ではありましたが、親から頂いた肉体の土台がしっかりしていたのでした。
それだけに、精神が体を屈服させて、問題行動の少ない人生になったのです。
それも、極真精神でしたので、半端なく悪の要素を除去できたのです。
理想とはいかないまでも、心の命ずるがままに体が動くという境地にも出会えたのです。
理想とする極真の形は、未だに、開拓途上という事です。
一つの美自体として、表せることができるようにという気持ちになります
それにしても、今まで、極真空手にすべてを捧げることができる道を開拓することができたことに関しては感謝です。
私自身を、極真は受け止めてくれたという格好になりました。
まして、保護司として社会貢献活動ができたのですからありがたいことです。
それも、もうすでに、保護司歴が十九年目を迎えているのです。
このような社会貢献も極真の新しい形という事にもなります。
悪の社会からの誘惑もなく、健全に生きていくことができたのも極真ゆえなのです。
理想とする形は、地域社会と融合できる道であると思うようにもなっているのです。
これからも、極真として、社会に貢献できる、道が開かれるようにという事です。
新しい、形を目指して、さらに前進です。