2018年10月21日(八段語録3410)
合宿審査会二日目
午前中まで、審査会が続きました。
子供たちの表情も緊張した趣から、徐々に明るく輝くように見えます。
私の最後の挨拶は、「最後まで残って稽古するものが、最大に生かされる」という話でした。
そのように話す中で、道場生一人一人が円滑な愛情を備えて,皆に慕われる存在になってほしいと願うのです。
こうした審査会の様子を見ながら、手塚グループの代表であるという認識をするのです。
稽古を通じて本物を目指す道場生に、しっかり対応できる人格を持つということです。
もちろん、当たり前に、個人として立っている人格の代表であることは間違いないのです。
また、家庭においても、夫婦の代表であり、父母として我が家を代表するのです。
さらに、兄弟での長男であることから、兄弟代表であり、氏族をまとめる代表なのです。
それにしても、審査会にあたり、強く道場生に責任を持たなければならないと自覚するのです。
また、道場生が責任を持つ私を見つめているという事を見ると、私が緊張してしまうのです。
このように、道場生も私も、極真空手という武道という同じ理念の中に生きているのです。
ようするに、私も道場生も同じ極真という道で共に歩むという運命の中にいるのです。
間違いなく、先に歩んだ私と、後からついてきた道場生は同じ絆で固く結ばれるのです。
それだけに、先輩として、後輩に対して愛情を持たなければならないのです。
そのような原則的なレベルが、しっかりあるという事を自覚させられたのです。
さて、歴史という長いスタンスで眺めると、これから私の立場を引き継ぐ人が大勢出てくるのです。
そのような意味では、道場生も私も単純な存在ということではないのです。
どの一面たりとも、欠乏してはならない存在なのです。
それだけに、四方性を整えた、前後左右上下を円滑にこなせる人格を持つべきなのです。
そうでなければ、不十分な内容からは、満ち足りた心は広がらないのです。
ましてや、迷惑や悲しみをもたらすことも多く生み出されてしまうのです。
それだけに、円満な人格を目指そうと、お互い協力できればと思うのです。
そうしないと、心が歪になってしまうのです。
私の極真初期の時代には、道場生を守るベースが少なかったのです。
それだけに、多くの優秀な道場生が極真を去っていったのです。
それも、組織が若かったので、お互いに争うような事が多かったのです。
先輩に言われた裁きの言葉は、今でも残るほど強烈だったのです。
そう考えると、今の審査会に臨んでいる道場生は、成熟した組織だけに守られるのです。
有難い時代的恩恵を受けているという事です。
もちろん、先輩としての私の立場は、道場生をサポートすることなのです。
このような成熟した組織になっているということに感謝という事です。
審査会二日目の最終日、道場生の前に立つ私は、襟を正される思いです。
めんどりがヒナを搔き集めるような気持ちが必要であるという事です。
道場生は昇級して帯の位が上がっていきますが、私もしっかりしなければという自覚が生まれるのです。