2018年10月17日(八段語録3406)
極真の栄光を世界大会に表せるように

 若き青春時代はの日々の稽古は、汗を流し悔し涙を流す日々の連続でありました。
修行時代は、何度止めようと思った事か今更ながら思い出します。
それでも、切っても切れない修行者としての情理があったわけです。
それを今まで貫いて来ることができたという事に奇跡とさえ感じるのです。

確かに、稽古を重ねて歩んだ道は、生命の息吹が噴き出す連続だったのです。
打撃が中心の稽古ですから、生傷が絶え間なく、打ちひしがれることが多かったのです。
それも毎日続く這いつくばるような極真空手の運命の道でもあったのです。
それも、大山総裁が示されたレベルは、実に高かったのでした。

稽古自体が真剣勝負の連続であったことを今でも思い返されます。
そこで、勝利しなければ何の意味もないという事を大山総裁に強調されたのです。
それだけに、そのようなレベルの選手を目指すことは至難の業であったのです。
それだけに、一日の稽古が一身を捧げるような気持ちで生活したものです。

若き選手時代の目指すところは、勝利する栄光を表すし、探し出す道の追及だったのです。
その為に日々自分を整えていくという事を主眼点に置いたのでした。
そのような意味では、理想の基準が高かったのでしょう。
そして、理想を基準に極真の道を究めようとしたのでした。

 今は、責任ある立場で世界大会という極真の道をさらに究めようとしているのです。
手塚会長の理想を引き継いで、どれだけ可能なのかの挑戦という事になります。
手塚会長の理想が余りにも高かったので、一歩進むことも困難にも思う日々です。
それでも、理想を完全に果たすことができるようにと努力あるのみと、自分に言い聞かせています。

誰からも後ろ指を刺されることのない公認された手塚グループでありたいと思うのです。
グループ全体として価値ある存在になれるようにという思いで一杯になります。
そうでなければ、道半ばで頓挫してしまいます。
誰からも知られない生活をしながら、理想の極致を目指そうとするのです。

それだけに、責任をなすりつけることなく、主人意識をもって対応です。
そうでなければ、世界大会は完結することができないと思っているのです。
自分との戦いは激しくなるばかりですが、誰かが対応するのでもないわけです。
最後まで、完結するための気迫と極真魂が願われるという事になります。

とにかく、責任あるものとして、世界大会を完結しなければならないのです。
手塚会長の意志を受け継ぐという事の困難さを感じるのは日常茶飯事です。
弱音は禁物ですから、勝利することだけを未来の映像に描いていくだけなのです。
それだけに、自分との葛藤は高まるばかりです。

修行時代と同じように大会に責任を持つものとして、栄光の偉業を捧げたいのです。
あと五か月を残すのみとなりました。
手塚会長に栄光の偉業として残すことができるように、指導者としての資格を与えて下さるように願うばかりです。
何事も全国・全世界の本部長に守られて過ごさなければ、何一つなしえないという事を感じているのです。