2018年10月15日(八段語録3404)
極真創始者に栄光を

 指導者として残された人生の運命の道が、幾重にも重なっています。
その道は、決してやさしい道ではないと心得ているのです。
極真の歴史は、半世紀程ですので、経験している範囲は余りにも狭いのです。
また、私が出会って歩んできた人生も、極真の歴史とダブって狭いのです。

今の私の心は、あまりにも狭く、消極的で、不備のままであることを感じています。
勇猛果敢に極真の道を歩んだかというならば、そうでない自分をありのままに告げざるを得ないのです。
それでも、極真の道を歩めたことは、天資であり、一度も去ったことがないことに誇りを持つのです。

この道は、神仏を尊びますが、決して頼らないという教えなのです。
考えるまでもなく、奈良の大仏に口があっても、決して私に話してはくれないという事です。
ましてや、人生の行くべき道を指し示してくれるという事もないわけです。
どちらかといえば、癒してもらえる、慰めてくれる師を求めようとしたのですが仏像では無理でした。
修行時代は、ただただ強くなることだけを求めて、創始者の言葉に耳を傾けたのです。

指導者になってからは、直接に語って下さり、聞いて下さったのは手塚会長でした。
いつも助けて下さり、哀れんで下さり、足らなさを許して下さったのです。
指導者として不足ない姿として、自然に善悪を判断する術を教えてくれたのです。
そして、自分という概念を忘れ、正しい指導ができるように導いてくれたのです。

 それを思うと、スポーツ界を騒がせているセクハラやパワハラの罠にはまらないのです。
愛情をもって、極真の精神だけを追い求め、肉体の錬磨にいそしむことができたのです。
私の心を悪魔の放つ罠から遠ざけてくれた、手塚会長という事なのです。
世の中の誰も認めることが無くても、ひたすら極真精神で体を武具として鍛えたのです。

それゆえ、極真だけを求め、所有し、誇ることができる人生を歩めたのです。
そして、武人として不変な個性を築き上げることができたというものです。
極真空手に栄光を捧げ、維持して修練できる自分があるという事なのです。
それだけに、全世界に繋がる道場生が極真精神の下に一つになることができたのです。

こうして指導者として立っていく事ができることに感謝なのです。
極真会館が無ければ、このような人生は歩めなかったのです。
天地の上に、感謝、感謝しかないのです。
極真で修行する中で、武道を志す人に尊敬されるように努力することが、今日も日課なのです。

こうして積み上げた武道人としての品格を、私の体で終結でき、さらに心にまで昇華していきたいのです。
世界大会を故手塚会長に捧げる戦いが始まっています。
勝利の凱歌を歌い栄光を捧げることができるように努力を怠らなく歩もうと思うです。
栄光を極真創始者に捧げる歩みが、今日も続いているのです。

激動する世の中で、極真を代表して世界大会を開かせて頂けることに感謝です。
そのような意味において、今日も必死に歩もうと決意をするのです。
事務局長が申し込みのネット処理をしています。
各県本部が世界大会に向けて意識を高めています。

全ては、極真創始者の上に輝かせることができるようにしたいのです。