2018年10月14日(八段語録3403)
肉体の限界からのダウン
喉の喉頭炎がなかなか治らず、三週間過ぎてしまいました。
三十歳の時に扁桃腺を切って、身体が悲鳴を上げているにも拘らず活動しすぎが原因なのです。
結局、肉体がついていく事が出来ず、ダウンしてしまいました。
まだ回復は八割ですので、もう少し休養を取らなければならないようです。
その間、ブログも自重して、お休みを頂いていました。
若い時と違って、肉体の回復が遅いのです。
どのような症状かというならば、喉の熱が全身を蝕むのです。
体だけでなく、気持ちもやる気を失せさせてしまうのです。
その間、最低限の仕事をしながら、寝室から外を眺めていました。
実に秋の田園風景が黄金に包まれて美しいのです。
畑も、大根と白菜が勢いよく育ち、青々としているのです。
まさに、自然は玄妙なる顕現の美が満ち満ち溢れているのです。
本来ならば、身体も休まず愛情に満ちている生活なのですが、気持ちが萎えていました。
健康的で、美しく生きているはずなのに、美しい自分の姿ではない日々が続きました。
健康であれば、完全無欠の本来の美しい姿を現せるのに、残念な日々でした。
健康を害してみると、元通りに戻して、美しく生きるのが、今の目標になっているのです。
そのようなわけで、私の探すのは、健康な心であり、活動できる体という事です。
それを捜し立てるのが、今の早急の任務のようです。
病床で打ち砕かれているときに、実行できたことがありました。
人生の先輩に指導を受けて、本を読むという事でした。
私は、この期間、歴史書に没頭しました。
その中から、様々な教訓を学ぶことができました。
どうしても、いざ読むとなると、流行りの作家は苦手なようです。
本屋で立ち読みが良いところでしょう。
ところが、古典になると心底没頭することができるのです。
というのも、歴史の実録であり、内容から悟ることができるというものです。
そして、何を悟るかというならば、正しい人生の生き方という事です。
また、それだけに、今の時代に生きている感謝と誇りを持つことができるというものです。
歴史の実録を眺めることで、今の苦労も報われるような思いにもなるのです。
また、自己中心主義からは、何も良きものが生まれないことも悟るのです。
それだけに、天倫を離れては、本心の叫びに至らないことも思わせられるのです。
この病床の期間は、私にとって大切な期間になりました。
それにしても、病が回復するのには年齢と共に遅くなるという事を感じるのです。
あれだけ、健康を自負していた私が、肉体の衰えには叶わないようです。
徐々に健康が回復にするにつれて、天倫に対するごとのできる、本心の心の叫びに導かれるのです。
そうすることによって、心の叫びに導かれて、私の体が刺激されそうです。
人生に謙虚になることができるのも、病気をしたからでしょうか。
有難さが身に沁みます。
極真空手の指導者として、まだ億兆創生の若き青年に対して対応する責任がありそうです。
八割の回復ですが、ブログをはじめました。