2018年10月3日(八段語録3400)
六十五歳として復活

 高齢で活躍できる時代になったという事は、今までの歴史に無かったことです。
地道に目標に向かって人生を築き上げたことが報われる時代という事です。
私の少年時代は、六十歳を超えた人は、お年寄りという風貌に見えていました。
長いスタンスの人生で決着をつけるという時代に入ったという事です。

そのような意味では、長い人生をクリアして人生の完結を目指すという事になります。
私自身の個性がどのような原石であるかを、検証して磨けるというものです。
私自身、武道修行の完成を目指して、さらに努力を重ねることができるのです。
武士道の道を歩む者として、名人といわれる人を追い抜くにしても、歳月をかけることができるのです。

つまり、完熟した武人の境地を見出そうと追及できるというものです。
今まで、道を究めてきたのですが、若い時は、誰からも理解されなかったのです。
それよりも、何で馬鹿な事を、いつまでしているのかという周りの評判でした。
学問も捨てて、まともな社会人にもならず、「就職だってできないでどうする」という心配をかけていたわけです。

武道を目指して、上京していた時でしたが、ある婦人に未成年なのだから、親元に帰った方が良いというアドバイスを受けたのでした。
大分説得されたのですが、やはり自分が決めた道を進むという事を主張したのでした。
一時的な思いで、上京したわけではないという気持ちが強かったのです。
目指そうとする理想は大きかったのです。

 さて、そうして目標に取り組もうとする中で、生活することには困らなかったのですが、エンゲル係数100という事でした。
普段着もボロボロ状態でした。
それでも、理想だけは高かったのです。
高校時代の親友と伊勢丹前で会ったのですが、早稲田大学に入学していて輝いていました。

先頭に立ってリードしたい気持ちがあったのですが、内容と実力がないのでコテンパンに打ちひしがれていました。
無我夢中で、一人前らしくなった時に、出会った女性が今の妻の千順さんでした。
「地獄の中の仏」でした。
新たな希望が見えて、この道に邁進しようとしたのです。

武道をするという事は、生死を掛ける気持ちがなければ上達しないものです。
いわゆる、生命を懸ける積極的な気持ちを維持するという事を心掛けたのです。
それも、自分の指導する道場生も出てきていましたので、いい加減にはできなかったのです。
確かに、学問も疎かにしてしまったので、みすぼらしい気持ちは常に付いてきました。

ある意味では、社会的な通念を全て投げ打つという気持ちで過ごしたのです。
それだけに、新聞もテレビを一切観ることなく、社会から隔離したのです。
有難いことに、遠くから遠距離交際で電話する千順さんとのホットラインはあったのです。
それだけに、私の精神は汚れずに青春時代を過ごすことができたという事です。

 修行は過酷という事に表現するには不十分でした。
どんなに疲れても、堂々たる気迫だけは持たなければ道場には入れないのです。
最終的には、死ななければ勝つという事にしたのです。
それだけに、現実はともあれ、でかい理想だけは心に抱いていたという事でした。

二十代前半は、怪我も多く、大会でも思うような成績は残せませんでした。
それでも、二十八歳の三月二十日、昇段審査で黒帯になったときは天まで上がるようでした。
不思議なもので、黒帯になると地方大会でも入賞するようになったのです。
負けられないという気持ちが、自分を強くしたのでしょう。

それから、初段になると、何をしたかというならば、弟子づくりを意識の中に抱いたのです。
その最初のメンバーが杉原師範であり、宮城師範という事になります。
杉並の集会所を借りまた、池袋の集会所を借りて弟子づくりに力を注いだのです。
もちろん、総本部に通いながらでしたから、朝の六時からという稽古スケジュールでした。

正式な認可というのではなく、サークルのような形でした。
それでも、今の手塚グループの柱になっているのですから、大事な事でした。
青春時代が、今に繋がれているという事だと思っているのです。
余談ですが、その時にいた私の弟子が、軽量級で世界選手権大会優勝を果たしたのです。

それだけに、遊びではないサークルという事だったのです。
そして、手塚会長とともに、指導者としての支部長としての弟子の発掘に努めたのです。
宮城の森副会長を筆頭に、秋田の春日師範、福岡の川崎師範、広島の宮城師範、東東京の杉原師範、新潟の田中師範、福井の師田師範、大阪の金師範、北東京の笹森師範、
また、手塚会長の御三家ともいわれる四支部長の師範、埼玉の輿川師範 そして、新しく、兵庫の廣松師範、さらに大分の伊藤指導員と基盤が広がっているのです。
全国に16支部の誕生に至るのです。

世界に目を転じて、伊藤国際部長が四十か国の支部認可を果たしているのです。
もうすでに、大きなベースを持つに至っているのです。
この四十か国に関しては、後日詳しく表現していこうと思うのです。
まさに、世界に広がる極真会館手塚グループになるという事です。

すでに、六十五歳を迎えて、手塚会長からこのグループを預かっているのです。
更なる、決意を固めて、充実するグループにしていきたいという事です。