2012年9月19日(八段語録1810)

おもむろに


 会長と私は、極真会館の理想を抱いているのです。レベルは違いますが、夢に向かって進んでいることは間違いないのです。極真会館を良くすることが、すなわち私たちが良くなることであると本気で思っているのでした。
 今までの、極真会館の歴史は、大山総裁に引きずられながら、あらゆる諸問題を内包しながら歩んできたのです。特に総裁亡き後は、正しい事が認められず、会長自ら屈辱を受けるような歩みだったのです。
 詳しいことを書くつもりはありませんが、会長と私は正しい道を模索しながら、聖人のごとく歩んできたのでした。当然、ともに行動ができる人たちばかりではありませんでした。一人去り、二人去りという事でした。
 ところで、振り返ると、選手時代は肉体を鍛え、理想を見つめつつ、肉体を酷使してきた時代でしたし、師範代になってからは、師範の願いを受けながら実践してきたのであり、師範になってからは、弟子に愛情を注いてきたのでした。そのような時を通過しながら、今の自分があるのかと思うと、感慨深いものがあります。
 部屋で、何度も席を立ちながら、後ろで屈伸運動しながら、体調を管理したのでした。そして、貴重な極真とう団体に所属しながら、自分の心の一番中心に置きながら、世界に向かっていくという気持ちが渦巻いているのでした。自分の心の奥底においているものはというならば、見えないものになっていると思うのです。それは、心を温かくしてくれるし、力を与えてくれるのです。
 いつしか、人生の時を刻んでいるうちに、家土地や、地位や名誉という事ではなく、見えない無形な財産を求めるようになっているのです。それは、人と争いたくないという事や、苦痛を与えることや受けることをしたくないという事の表れなのかもしれないのです。
 自分の人生を振り返ってみると、動機が極真会館という事にあったので、その過程を歩むときには、発展してきたように思うのです。もちろん武道精神であるがゆえに、ここから発展させてことになります。そのことが、今では懐かしく思うのです。