2018年9月18日(八段語録3399)
苦労できるスタイル

 極真の道を歩んで感じることは苦労する道を自然なスタイルで無理なく歩めたことです。
それも、私生活において何ら苦慮することなく、良き感情が残っているという事でしょう。
自分の生涯を天秤で測るように、より価値あるものとして極真の道を選択できたのです。
一時の気まぐれで、極真の道を続けたという事でもないのです。

日々心の天秤で測っていったら、極真の苦労の道を選択し続けたのです。
極真の道は、一日の生活から始まり、一日の生活は瞬間から始まったのです。
従って、瞬間のような一日、瞬間のような一年、瞬間のような生涯が維持されたのです。

私の友達は、自分勝手に一生生きると言いながら、一時だけの青春を空しく送ったのです。
というのも、お互い六十五歳になれば、人生の大半ですから結果が出ているという事です。
友達は、ありふれた生活を望んで、流されるままに定年になって、離婚して何も残っていないというのです。

今では、極真の苦労の道を好んで歩んできた、私の生涯を羨ましがっているというのです。
何も私は、苦労を背負ってきたというのではなく、ただ自然なスタイルとして歩んだだけなのです。
要するに、瞬間的な一日を一生懸命貫くという事を、教えてもらっただけなのです。
自分の人生を世間体だけを気にして生きるか、気違いじみたの極真で生きるかの選択でした。

 結果的に、世間を捨てて、極真に没頭してみて、その価値を探し出して、私の価値を自分で決定したという事なのです。
そのような意味では、自分で自分の生き様を決定したことが、生涯の価値を見出したという事なのかもしれません。
それも、極真会館の歴史として記憶されるという事もあるわけです。

人生は片道切符なのです。
一度訪ねて去っていけば、再び訪れはしないのが人生という事です。
そのような意味では、どのように決算するかという時期にも来ているのです。
無限の価値のある生涯の決算という事です。

確かに良き修練のコースは用意されていましたが、いつも分かれ目はあったのです。
心は良い方向に向かうのですが、体は直線にはいかなく、躊躇するのです。
要するに、身体が言う事を聞かなく上がったり下がったりという事でした。
そうして、上下する心を極真修行で振り返ってみて、プラスになっているという事なのです

そういう事も含めて、プラス・マイナスという私自身の天秤があったという事です。
生涯を振り返るまでもなく、動作が大きく左右するという事でした。
心は良き方向を向かうのですが、動作が悪く向かいという事がしばしばあったのです。
それだけに、言葉やしぐさは気を付けなければならないことだったのです。

ともあれ、喜ぶことができる生涯にしようとしたのです。
これからも、「一生本当に良かった」といえる生涯にしたいという事です。
うんざりすること、悪いことは、夢にも考えないという事です。
正に人倫道徳に合致する生き方をしようとするのです。

勿論、良かったという事が私だけで良いという事とは思わなかったのです。
歩んできた道を、道場生に示していったという事で、今の道場があるのです。
私が味わった喜び以上の感動を道場生も抱けたらという事で日々指導しているのです。
指導しているからと言って、私自身休んでいるのではないのです。

挑戦することは忘れないようにするのです。
日々努力する自分として歩もうとするのです。
一度しかない貴重な人生ですから、重要視するのです。
自分探しなのでしょう。

一日を有意義に送って、瞬間の闘いに勝とうとするのです。