2018年9月17日(八段語録3398)
敬老の日

 母の乳癌の退院祝い、敬老のお祝い、三日早い誕生日を一挙に祝日に祝いました。
乳癌が早期に見つかって、左の乳房を全摘出という事で入院していました。
八十八歳になる母ですが、気丈に振舞って、麻酔が切れた時の痛みだけが苦しかったようです。
癌を患ってからの敬老の祝いと誕生日ですから、格別のようでした。
母の顔には笑顔が満ち溢れていました。

兄弟家族が根白石の別荘に集まって、お祝いという事になりました。
息子夫婦も参加してくれて、合計四家族という事でにぎやかでした。
特に、息子の孫がにぎやかに食卓を跳ね回っていました。
いつもは、お盆と正月に集まるのですが、入院が重なったという事で、この時期になったのです。

四家族集まって感じることは、どの家族も「お金をたくさん持っている」という事はないのです。
ただ、一生懸命に生きているという事なのです。
こうして、親戚として集まって、ひと時の食卓を囲んで、母をお祝いするという事が良いのです。
このような親戚たちですから、名誉や権威もある訳もなく、自慢できるものもないのです。

それだけに誰からも、このような幸せも奪われることもないであろうと思っているのです。
親戚同士で、争うという事もなく、ただ平凡に集まっているのです。
私が長男であるという事で、弟達家族を束縛しようなどとは、まったくないわけです。
このような平凡さを誰もが願う事として、兄弟家族が捉えているのです。

 実に、貴重な集まりなのです。
考えるまでもなく、一生という短い期間に、親戚が和やかに過ごせるのですから感謝です。
母親も八十九歳になって、子供達の幸せの行く末を見守っているのです。
私達はともあれ、母にとっては、「幸せのプレゼント」になるのです。

そう考えると、私達兄弟家族の関係は、間違っていないという事でしょう。
そのような思いでだけを抱けるので、幸福な親族であるという実感を受けるのです。
輝かる人生に身もだえもしなくて、与えられているという事です。
それだけに、長男として心の基準が落ちないように日々を過ごすだけという事です。

明日も変わりなく、生きようとするのも、このような幸せがあるからです。
一日一日に、最善を尽くすとするならば、長男として森家を守っていく事になると思っているのです。
とにかく、幸せなひと時を過ごさせて頂きました。