2018年9月16日(八段語録3397)
一生懸命生きるぞ

 広島空港から成田へ、手塚代表をご自宅までお送りして、仙台へ向かうのです。
四百五十キロの帰路ですが、目標がないと気合が入らないドライブになるという事です。
それで、夕方7時には到着という目標を立てるのです。
何をするかというならば、到着したら肉体強化のトレーニングという設定です。

午後に二時には成田出発で、五時間かけて流山市経由で仙台への道のりです。
目標があるという事は、不思議に気力が溢れます。
結果、七時からトレーニングを開始して、九時まで肉体の錬磨に時間を当てました。
その後は、朝まで熟睡という事になりました。

何か設定するという事は、努力も入りますが自分が自分らしくなるという事です。
また、自分がしっかりして、取り組むという事ですから充実感も湧き上がります。
今のこの時も私は追及しますが、過去も追及してきたし、未来も追及するという姿勢なのです。
結果は、誰かに帰結されるという事ではなく、しっかりと私個人に帰結されるのです。

そうでなければ、大黒柱の私が家族や地域社会、そして手塚グループを支えることができないのです。
手塚グループだけが宙に浮いてしまってはどうしようもないという事です。
漠然と手塚グループを支えるという話ではなく、個人が中心となって支えるのです。
私自身が、どのように手塚グループと関係を持つかという事が願われるわけです。

しっかりと、指導者が全体を意識して、道場生がそれを支え全体を高めるのです。
全体一丸となって、四方を整えて、立体的に対応しなければ、忘却地帯が生まれるというものです。
それだけに、流されて過ぎていく存在ではなく、瞬間を支えるようにするのです。
手塚グループの未来の開拓者として、一人一人が役割を果たすという事です。

このように、このグループを支える個人の価値は、地球よりも高いという事です。
また、一つの道場だけが頑張ってもどうしようもないのです。
必ず、グループと一致して発展しなければならないという事です。
言い換えれば、自分の道場は手塚グループの発展に寄与するという意識を持つのです。

それだけに、男として感じるのですが、男として終わらずに家族の為に頑張っているし、グループの為にも頑張るという発想は正しいと思うのです。
そのような意味でも、グループの中心は、個人に帰結するというものです。
そのような意味でも、日々の稽古は大切なのです。

稽古に、あらゆる経験が加重されていくのです。
そして、自我を自然に悟るという事が重要な意味を持つというものです。
良きも悪しくも、それが基準となって四方八方が決定されるのです。
誰かに影響されるのではなく、主体的立場でリードできるようにするのです。

 確かに、人生を考えれば、人は瞬間に存在するのかもしれません。
数億万年の歴史の中で、生涯は正に瞬間です。
それだけに、捉え方はいろいろありますが、この生涯が貴重であり、重大であるという事です。
人々の中には、自分の一生を諦める人もいます。

自分の一生を自分勝手に決定して、自殺するような人も出てきます。
しかし、本来人間はそのようにはなっていないはずです。
せっかく生きているのですから、世界と運命を共にすべきです。
せめて、このグループに所属しているのですから、このグループと共に生涯を決定するのも良いのかもしれません。

グループの責任者としては、このグループに歩調を合わせて欲しいと思うは当然なことです。
このような生き方を、「真の生涯を武人として歩む」と私は、勝手に決めています。
それだけに、一日の生活を失敗しないようにしています。
この一日が、生涯の失敗を誘発するかも知れないと思うようにしているのです。

それだけに、一日を緊張した気持で過ごすという事は、当然のことです。
その原動力はというならば、極真精神という事でしょう。
このような登山口を見出したという事は有難いことであると思っています。
そして、今日も力強く歩もうと思うのです。