2018年9月14日(八段語録3395)
手塚代表と広島へ移動

 真夜中、仙台午前三時五十五分に高速インターに入りました。
理由は、午前四時までに入場すると、三割引という事です。
ちょっと節約意識があるという事でしょう。
すぐに、サービスエリアに入って仮眠を取ることにしました。
距離的に近い常磐道を通らず、東北道ルートを選択したので、距離は百キロ近くオーバーです。
ちょっと変化を選択したことが、間違いで、栃木から水戸への高速に入ってしまったのです。
東北道を通ると首都高に入るので、混雑すると予測したからでした。

午後二時に手塚邸に到着です。
代表をピックアップして、成田第三ターミナルへ向かいました。
スプリングエアライン(LCC)にて広島に七時に到着しました。
宮城師範が出迎えてくれて、夕食が西城の東横インホテル近くでした。

もうすでに、広島本部も設立から九年が過ぎたという事でした。
道場生も開拓当時から増えていて道場生も育っているのです。
広島本部は、極真空手一本で来ましたので、感無量というところもあるのです。
このような道場運営になるという事は、想定していても感慨深いものがあります。

宮城師範は、五十歳過ぎから志を立てて、頑張ってきたわけですから報われているのです。
理想が大きかったのですから、無限大に広がったというものです。
最初は、一軒一軒訪問して道場を広げていったのです。
無から有を作るという事は、並大抵のことではないという事です。

 さて、広島本部に限らず、志を立てたならば、その理想に近づくという事です。
最初は、目には見えませんが、エネルギーが確かに加わって大きくなるのです。
思い通り突き抜けると、気力が充実して支障を全く感じないという事でしょう。
しかし、始めた当初は不安で一杯であり、生活の心配も過るというものです。

私の場合、四十代でしたので、体力も気力も充実していました。
もちろん、広島の本部長においても、やる気に満ち溢れていたでしょう。
それで、五十代は、まだ間に合ったという事です。
結果的に、多くの壁を突き抜けて今があるという事です。

九年前に出発したのでしたが、その時が永遠の中の僅かな時間という事です。
途方もない、苦労を前面に表現されていたならば、一日も持たなかったのでしょう。
しかし、苦労よりも夢と理想が先だったということで、今まで踏み越えられたのです。
夕食のひと時、今は深刻に通過した経験談だけが話題になるだけという事でした。

こうして、交流試合を六十人も道場内で行えるのですから、充実しているのです。
手塚夫人も宮城師範の広島県の交流試合を楽しみにしている様子でした。