2018年9月3日(八段語録3386)
世界大会に向けて

 極真会館に入門して、私は「故郷を離れて人になるまで帰らない」決意でした。
青春の門が極真会館であったという事でした。
決して、広い道でではなく、難行苦行の狭き門でした。
故郷を捨ててこの道で出発したのですから、中途半場では帰れないという気持ちでした。

その道は、自分が故郷で暮らした日々よりも、つらい日々が待ち受けていました。
当時は、何かを達成するには、安楽な故郷を離れなければならないような思いをさせられました。
実家で暮らすとするならば、長男ですし、何の不自由もないのです。
出来もしないと思えることも多い中、極真会館で大成することだけを意識したのでした。

結局、有段者になり、全日本に出場しただけでなく、妻を娶り子供を三人授かったのです。
故郷に帰ってくると、そこでは大山総裁の死去と分裂騒ぎが待ち構えていました。
遺族派に所属していた手塚会長と共に歩み始め、「家族」での理念を重視してきたのです。
結局分裂の動機は、主導権争いで、お互いの妬みや嫉妬が巻き起こったのでした。

すんなりと、年功序列で高弟が継承していたならば、何の問題も無かったのです。
動機が悪く、遺言書を偽造してまで継承者になろうとした人物が幅を利かせてしまったのです。
それに対する、正義の鉄槌を加えたのが手塚会長であったのです。
そんなこんなで、分裂極真になったという事は、良かったのかどうかという事なのです。

さて、結果的に、大山総裁が築いた極真という伝統を、主導権争いで二代目がしっかり立たなかったのです。
それは、大山総裁であったとしても、思いもよらないことだったに違いないのです。
それも、結局は創始者の心を、蹂躙していることに他ならない結果なのです。
そのような意味では、結果的に大山総裁の思いとは裏腹になっているという事です。

その極真会館という武道の道を私は。今も裏切ることなく歩み続けているのです。
本体が分裂しようが、我が道を行くという事でしょう。
それも、大山総裁・手塚会長の意志を受け継いでいくという気持ちなのです。
それだけに、極真本来に立ち返るという立つ位置には立っていると自負するのです。

私の場合、大山総裁からは、訓示を道場で受けるだけでした。
しかし、手塚会長との歩みは、いつも相談しながらだったのです。
そのような経歴から、何事も極真の事を知ろうと努力してきたのでした。
敢えて、修行の道を歩み続けてきたという事と、極真の事情に通じてきたことが、自分の誇りになるのです。
日常生活で、豪華絢爛な環境に身を置くこともなく、ネオン街を訪ねるわけでもなかったのです。
親の財産を食いつぶして、豪華絢爛な栄光を幾重にも重ねることも無かったのです。

極真精神という武具で身を固めて、どんな誘惑にも負けない鉄石のような硬さを誇ったのです。
そんな気持ちで、手塚会長と共に歩んだのですから、筋金入りという事でしょう。
それだけに、二代目はどうあれ、三代目としての役割を果たすという覚悟なのです。
それで、いち早く三代目に至ったのですから、極真の本流に飛び込むという意識になるのです。

もちろん、その事を知るに至る人物は、手塚会長だけで、誰もいないという事実だけは突きつけられます。
このような「家族」という理念に誰が付いてきてくれるかという事が課題でもあるのです。
責任者の中で、手塚会長の意志を受け継いて堅い志を持って、道場生を擁護する責任者がいるかという事です。
手塚会長の意志を受け継ぐ責任者が増えたならば、私の義侠心は燃えるはずです。

これから団結して、世界大会に臨むならば、多くの奇跡が巻き起こるのではないかという事です。
それだけに、社会の価値観や背景が問題ではなく、手塚会長の願われる大会を挙行できるかが課題なのです。