2018年8月28日(八段語録3381)
世界大会の手引書 5

 かつて、このグループで手塚会長が世界大会を開催したのが、千葉のポートアリーナです。
国内外の選手が、手塚会長の下に集まってきました。
もちろん、かつて会長の弟子が率いる別な世界大会も同じ時期に開催されました。
国内外の指導者・選手が集まって、手塚グループの立ち上げのように見えたものです。

実際は、国内の指導者達が手塚会長と行動を共にできなかったのです。
本来ならば、固い結束を築いていたならば、一つに纏まったはずでした。
多くの師範は、都合の良いように捉えていたという事でしょう。
手塚会長は、あくまでも「家族」でありたいという発想から、グループをまとめたかったのです。

当時、私の立つ位置は、仙台道場の師範代ということでしたので、手塚会長直属ではなかったのです。
その時、大会運営において、師範同士のいざこざが表面に現れていました。
それに比べると、その世界大会以降、グループで行った世界大会は「家族」だったのです。
手塚会長が出した結論は、自分で作った手塚グループを自分で抜けて、新たに手塚グループとして出発したのでした。

その世界大会が、2006年7月に行われた仙台で行われた国際交流大会であったのです。
そのような意味では、2000年12月の全日本32回大会を仙台で開催した時から、手塚会長の「家族」理念で本格的に出発したことになるのです。

 手塚会長は、空手の修行者である道をひたすら歩んだのでした。
その道は、名誉を担って一人だけで開拓した道でした。
その道を受け継いで、今も私達は走っている過程にあるのです。
私達が走る目標は、手塚会長が今も主管して、その規模は世界とつながっているのです。

それ故に、手塚グループとして産声を上げたからには、世界的につながって持続していこうとするのです。
そのような意味では、このグループに立っている私達は、この走るコースの数多くの峠に立っているのです。
そして、手塚会長に従っていった人が、倒れて行った事情も知らなければならないのです。
倒れた時期、どのように争って、どのように袂を分かれたかも知らなければならないのです。

理由は、この世界大会は、団結して結束していかなければならないからです。
それだけに、漠然と世界大会を迎えてはならないという事です。
このグループで世界大会を迎えようとしているのですから、あたりまえに、漠然とした目標にはしていけないという事です。
世界大会に向けた準備していくためには、歩むためのしっかりとしたコース取りをしなければならないことになるのです。

世界大会に向けて、選手同様に、スタッフとして携わる責任者に関しても、コースを見つめなければならないという事です。
世界大会に向けての原点は手塚会長の「気持ち」に置くべきです。
そこから走っていくべきであるという事です。

 そのような事で、これから半年以上続く戦いをどのようにするかという事を、各自が自覚するという事です。
それで、どのようにしなければならないかという事です。
結論は、手塚会長が示してくれた伝統精神を持たなければならないのです。
そして、どのような立場で歩むのか、どこに所属して貢献するのかを検討するのです。

今の時期に、何をしなければならないかという事も意識すべきです。
過去、どのように対応したかという事も検討すべきです。
もちろん、誰がどのように失敗したかという事も探求すべきです。
全ての悪条件を見据えて、対応するという事も必要になってきます。

間違いなく、障害物は待ち構えています。
数多くの峠があることに間違いないのです。
これに対する知識も必要になってきます。

それだけに、過去を知り、現在を知って、未来を知れなければならないのです。
これが、大会に取り組む者として常識になっていくという事です。
もしかして、主催者側の突然の変更もあるかもしれません。
それでも、建設的な意見と姿勢を持ちながら前進するようにしたいものです。

 手塚会長の後継としての立場で大会を迎えるにあたって、今までの経験を表現していこうと思っているのです。
この世界大会に向けて、精神的バックボーンになろうとするわけです。
手塚会長の意志を受けついて、一貫した目標のもと、あくまでも貫いていきたいと思うのです。