2018年8月16日(八段語録3371)
新しく生まれ変わる気持ちで


 昨日の夜から雨が降り続いています。
母の手術も成功して、今日は元気にしていました。
昨日は、麻酔が切れて「死んでもいい」というほどの痛みが走っていたというのです。
私も、母の元気にしている姿で安心したのでした。

昨日のうちに、親父の墓参りを済ませていたので母親に報告していたのです。
墓参りの報告を聞いて、母親が喜んでくれました。
東日本大震災まで一緒に暮らしていた親父が、肺炎でこの世を去ったのが昨日のようです。
親父の遺言通り兄弟で財産を分与したのも、昨日のように思うのです。

遺産相続が争いの種になることもなく、三兄弟仲良く仙台で暮らしているのです。
母親の素晴らしいのは、自分を度外視して三兄弟に財産分与を優先させたことでした。
それだけに、私としては長男として母親を生涯に渡って、お世話をする役目を果たそうとするのです。
亡くなった親父に対しても、親父の母親の元に帰って行ったという気持ちが強いのです。

お盆という事で、あの世との距離が近いように思うも私だけではなさそうです。
三男の茂雄が、リンパ癌から生還したという事もあって、いち早く親戚の墓参りです。
根白石にも来て、畑を耕作している私に声を掛けて、家族全員と墓参りでした。
ともあれ、母と弟が癌という病魔に打ち勝って、生還したのですから嬉しくもありました。

 さて、私も青春時代を通過して壮年時代を迎え老年の峠を越えながら、沈む太陽のように一生を終えようとするのです。
それでも、私の今の人生を終えようとするというよりは、今も尚、準備に余念がないのです。
未だに学生気分が抜けなくて、日々の生活は単位を取るような境地でいるのです。
そんな気持ちですから、日々が貪欲なのです。

過去を振り帰るまでもなく、一か所に留まることのない人生を歩んできました。
いつ死ぬかも分からないので、全力疾走という事で無我夢中に歩いてきました。
何故か、生き方としては、寸暇を惜しんで日々歩むという姿勢と貫いたのです。
有難いことに、希望をもって歩むという取り組みをしたのでした。

この歳になって、同級生と会うのですが、彼の若き日の夢は薄れているようです。
私の場合、肉体は六十五歳ですが、気持ちは青春のように夢を追っているのです
それも、自分の生命を失ったとしても夢を持ち続けるという意識が強いのです。
それも、このグループを率いているものですから、死も恐れぬような気持ちにもなるのです。

私の死さえも、あざ笑って過ごしてしまうだけの夢を抱けているという事なのです。
人生は、あっという間に過ぎ去っていくのです。
死という運命の関門に向かっているという事でしょう。
それでも、躊躇することなく、希望を持っていくという事が出来たならば、幸せなのです。

 ところで、来年の三月に、世界大会を福岡で挙行するのです。
仙台で、世界大会を行ってきましたが、今回の場合、グループ全体で取り組むのです。
その為には、川崎師範や樋口師範代の手足になっていく実行部隊を用意しなければと考えるのです。
実行委員長を細部に渡ってサポートしていくという事です。

実際に、計画をしっかり立案していかなければ、ならないという事です。
今までと同じという風にはいかないと思っているのです。
まして、福岡だけに責任を押し付けるという事は到底できないのです。
あくまでも、グループが裏方としてサポートして、成功を治めなければならないのです。

過去の経験だけで、推し進めていくのではなく、グループ全体の力が必要という事です。
ちょうど、子供が母親のお腹の中で暮らしているうちは、へその緒から供給で良かったのです。
それが、子供が「おぎゃ」と生まれてからは、へその緒の供給ではなく、口と鼻から栄養と空気を吸うという事になるのです。

手塚会長が残してくれた家族の伝統を、この世界大会で大きく花開くようにすべきなのです。
へその緒も腹を出して寝れば、下痢もしますし、体も壊すのです。
それだけに、今までの業績を大切にしながら、新しく生まれ変わっていかなければならないのではないかと思うのです。