2018年8月7日(八段語録3369)
お爺ちゃんと孫


 私の母、私達夫婦、そして長男夫婦と三世帯で同じ敷地の中で暮らしているのです。
母は別棟ですが、長男夫婦とは二世帯住宅の一階と二階で居住しているのです。
一緒に生活している長男夫婦には、長男と次男がいて、三歳と一歳になるのです。
私は、名実ともに、お爺ちゃんという事になるのです。
孫達とは、初孫の出産から、愛情を込めて付き合ってきているのです。

振り返れば、我が子の時には、仕事が忙しくて面倒を見ている余裕が無かったのです。
私達夫婦は、共稼ぎで保母さんにお願いして、四六時中活動していたのでした。
子供との接点は休日だけという事で、子供を振る帰る時間が少なかったのです。
今思えば、生まれた時から子供達には不憫な思いをさせてきたと反省もしているのです。

というのも、私の両親と同居するわけでもなく、夫婦だけで子供を育てたのです。
我が子が大きくなるにつれて、寂しさを味合わせてしまうような環境になったのです。
私の両親からの願いで、息子が五歳になろうとするときに、故郷の家を継ぐという状況になったのです。
もちろん、私達夫婦は、忙しくしていましたが、私の両親が子供達を面倒見るようになったのです。

私達夫婦は、夫婦だけで子供を育てるのは、大変である事を目の当たりにしたのです。
そして、故郷に帰って、両親が子供達を面倒見てくれると有難さも感じたのです。
子育てに関して、「夫婦だけ」、「両親と一緒」の二つ側面を体験したのです。
そして今、三世帯家族で生活して、孫の面倒を見るお爺ちゃんになっているのです。

 さて本題に入るのですが、私は孫に囲まれているのです。
よちよちと家の中を歩き回って、私の膝元に寄って来て抱っこされるのです。
私の前で、孫達がふんぞり返って、遊んでいるのです。
よだれも流すし、私の服はぐちゃくちゃになるのです。

私がいるだけで、孫達は会いたくて仕方がないのです。
息子夫婦と違って、年齢が高い私は、座ってしまったらずっと座りっぱなしのです。
それだけに、忙しくしている息子夫婦と比べると、余裕があるようなのです。
孫達にとっては、忙しく疲れている息子夫婦とは違っているように感じるのです。

その状態を敏感に嗅ぎ分けて近づいて離れないのです。
それが、私にとても幸せなのです。
孫達は、本能的に一番抱いてくれるのがお爺ちゃんであると感じているわけです。
孫達は、私の体の全部を触って、触るところが無いくらい付き纏うのです。

決して、私は嫌な気はしないのです。
桜の木に例えるならば、私と孫達は、根っこと花のようです。
その花が、根っこと一緒になろうとしているようです。
花と根っこが一緒になるという事は、桜の木全体が、輝き始めるという事です。

このような姿が、お爺ちゃんも孫達も、そして長男夫婦も安心できる環境なのかもしれないと思うのでした。