2018年8月6日(八段語録3368)
七夕初日


 仙台七夕が六日から始まりました。
残念ながら、雨模様なのです。
気温も二十度に至らないので、半袖ではちょっと肌寒いくらいです。
夏から秋を通り越したような季節が表れているのです。

青森の友達からは、「ストーブも入れました」という話がありました。
このような気温の変化を感じたのは、仙台に住んで初めてではないかと思うのです。
また、台風が関東・東北を直撃しそうな予想が出ています。
まさに、異常気象であり、これからも続くのではないかと不安がよぎります。

雨降りの天候でしたが、勢いよく雑草が生い茂ってきているので、草刈りに挑戦です。
雨は降っていても、涼しいので体力を消費することなく、長時間仕事ができました。
草刈りが終わると、仕事部屋の事も、気にかかってしまいました。
どのように片づけるかというテーマで試行錯誤を繰り返しました。

大げさですが、世界に対する発信基地になっているのですから綺麗にしたいという事です。
瞑想する部屋が、荷物が積み重なっていては、心が整理されるものではないのです。
構想理想だけを、しっかりプランニングして、明日からの準備という事にしました。
何事も、若い時と違って、億劫になるようで、時間をかけてという気持ちが大きくなりました。

 さて、武士道も陽の目を見るのかという思いがあります。
それは、学校教育で倫理道徳が科目になるという事です。
それで、倫理道徳という事での学問的領域があるかというならば、未開拓という事でしょう。
世界に名高いローマ法があります。
現在も世界法の基礎として生かされているのです。

そのローマ法ですが、倫理道徳をどこまでも良心を根拠に置いているのです。
法より良心という事のようです。
良心の基礎となるのは、善なる行為という事になります。
そして、良心に一致する社会体制を作ろうとするので、法令も必要になるというものです。

何を言おうとしているかというならば、生活に根ざした武士道の研究も必要なのではないかという事です。
学問的アプローチをするには、歴史的アプローチから何か見出せることができるのではないかという発想なのです。
過去の家族関係、道徳観念、社会制度、秩序という内容を紐解くというのも大切であるかもしれません。

研究の進んでいない倫理道徳が学校教育の科目になるのですから、学者が武士道を研究する価値があるように思うのです。
年齢的差異の対処、秩序関係、上下関係と幅広く定義されているように思うのです。
ともあれ、人間が貴いのは、人倫道徳があるからという事でしょう。
人倫とは、人と人との関係なのです。

 そのような事で、倫理が人間関係の道理や法則になっていくという事ではないかという事です。
秩序の体系を立てて、相応する価値観、規範が成立することが明らかになれば良いのではないかと思うのです。
台風が来るという予報ですが、頭の中は、空手道の発想でいっぱいになっているようです。