2018年8月5日(八段語録3367)
久しぶりの涼しい仙台


 関東・関西では猛暑の最中であるにもかかわらず、仙台は涼しくなってきているのです。
空全体がどんよりして、すぐにでも雨が降りそうです。
日曜で休みなのですが、気持ちは過去を思いめぐらしているのです
それも、不思議に青春時代が思い出されてならないのです。

高齢になったからなのでしょうか。
そんなはずはないと、自分に言い聞かせている節もあるのです。
高校二年生の時から、家出が始まっていました。
普通列車で、東京まで学校を休んで行くのです。

目指すべき大学の校門まで行って、とんぼ返りという事だけなのです。
それも、家にも学校にも連絡しないで、上京しては数日で帰ってくるのです。
何度か模索していくうちに、本当に家出をしたのが、高校三年の冬でした。
それでも結局、二週間で家に戻ってくるのでした。

それも、レポートを全教科書いて、ぎりぎり卒業したのだと思うのです。
卒業式にも行っていませんので、母が卒業証書を受け取ったという事を後で聞いたのです。
家出の繰り返しで、自分の人生の開拓が始まったことになるのです。
大学進学をすることなく、極真空手という修行の道を選択したことになるのです。

その時は、日々命懸けという気合いが入っていました。
失敗と挫折を繰り返しながら、それでも「一人立ちても、なお強し」という気持ちなのです。
家を出た身という思いで、誰にも頼れないという気持ちは強かったのです。
それも、毎日の生活は、自己管理を徹底している自分があったのでした。

理想は高く天を突き、現実は大地にのめり込むというほどの矛盾が襲っていました。
世界を飲み込む勢いの極真であったので、その意識が強かったのです。
「よらば大樹の陰」なのでしょう。
内容もない癖に、誇りだけは御高くとどまっていたのです。

世界を相手に戦っている最中の、師がいるだけで苦労は何ともなかったのです。
師も戦っているし、私も戦っているという意識の方が強かったことになるのです。
ここで、後退したならば全てを失うという心境での人生になったのです。
個人だけであったならば、平凡な人生だったという事だけだったのでしょう。

しかし、世界を相手に戦っている師がいるという事で、日々の生活で苦労ではないのでした。
普通ならば、素晴らしい師に仕えて、教えを頂くという事なのです。
しかし、師も戦い、私も戦うという環境での青春時代になったのでした。
それだけに、モチベーションが引き上げられるという事も多かったのです。

 ところで、何で私の人生が活気あふれるようになったかという事なのです。
与えられた開かれた門は全く無かったのです。
日々が開拓の道という事での青春という事になったのです。
要するに、社会が準備してくれた道を進むという環境ではなかったのです。

それだけに、肉体を鍛えて、心を成長させるという姿勢を貫いたのです。
自分の中にある悪に対して攻撃して善に越えていくという日々の戦いでした。
五体満足で、しかも人よりも大柄な体に恵まれたことで体を鍛えることになったのです。
若い時期は、僅かばかりという気持ちがあったので、焦る思いの中で鍛えたのです。

寝る時間も惜しかったし、食事も素早く食べ、歩きながら何かを考えるというスタイルでした。
偶然に肉体が強くなるという事は考えることはできませんでした。
それだけに、日々肉体強化するために準備をしてきたというところです。
それは、容易いものではなかったように思っていたのです。

それで、地上最強の精神と肉体を作っていくという事に全力で取り組んだのです。
学生が単位を取るように、スケジュールを立てて、プランニングしていったのです。
その基準がどれだけ到達しているかという事を、組手を通じて認知したのでした。
強くなければ、理想と程遠くなるので、あまりにも実証的だったのです。

そして、一生を精神と肉体の強化に努めたわけです。
それが、今でも癖になっているのですから驚くばかりです。
何かしら思い出されるように表現してしまいました。