2018年8月4日(八段語録3366)
知識人の刺激を受けて


 慶応義塾大学の教授の「幸福学」を聞く機会に恵まれました。
もともと、IT関連のロボット工学の博士号を取得して、教壇でも自民党の学習会でも活躍している人物なのです。
関心を持ったきっかけは、極真空手の技術的な事は、世界に浸透しているのです。
しかし、武士道という理念からの発信を、どうしようかという事です。
参考になればという気持ちでの参加でした。

講義を聞きながら、質問したいことを筆記していました。
確かに、教授の話は、日本人に理解することはできるが、世界に発信できるかという事です。
日本人向けには、納得することもできるでしょうが、イスラム圏やアフリカ、そして様々な国で、「幸福学」を伝えた場合、納得させることができるかという事でした。
早速、質問の手を上げましたが、答えは曖昧でした。

紛争国での幸福の捉え方は違うし、またイスラム圏でも宗教が世間一般の価値観と違うのです。
私が、自分のブログの助けになればという事で、講座を聞きに行ったわけです。
結果、参考にはなりましたが、世界の道場生が納得するような「幸福論」とは違うようです。
壁にぶつかる私の助けになるかというならば、僅かばかりという事でした。

教授の場合、論文をそれなりに書けば、社会的地位と生活が安定するのですからうらやましい限りです。
私の場合、世界で汗を流しながら周り、極真空手を伝えると同時に、「家族」の価値の理論的根拠を求めようとしたのですが、教授の講義は、ちょっと物足らないという実感でした。
それだけに、私の書くブログは、直感に任せて、私の個人的見解を重点に表現という結論になりました。

 さて、この講義を聞いても、自分の意志に符合するかというならば、否という事です。
自分の道は、自分で開拓しなければならないという事なのでしょう。
このブログを表現する現実は、切り開いて闘争を繰り広げなければならないのです。
自分の環境を押し込んで進んでいかなければならないのです。

まして、朝に計画して一日の仕事に対して自信を持つことができない日々の連続です。
その環境が、個人だけではなく、国家を越えて世界に至っているのですから大変です。
それだけに、決意と推進力をもって、日々を過ごさなければならないという気持ちです。
一日が加わり一か月になって、いつの間にか一年になってしまいます。

それで、自分で謙虚に振り返って、計画したと通りの状況にはなっていないのです。
計画を全うするという闘争心と推進力には成っていないのです。
確かに、時間性から外れることができないこの世の中です。
足らなさを感じながら、原点に立ち返っての繰り返しという事もしばしばあるという事です。

私が、会長として歩んでいるのですから、必ず達成すべき目的があるのです。
その目的が十分になされているかというならば、はなはだ疑問になってしまいます。
目的を大きく持てば、精神的に強くならなければならないのですが、ちょっと足らないようです。
時間という過程を通じて、目的を凌駕することができる気持ちを持ち続けることができるように、頑張る以外にないという事でしょう。

高いような安いような授業料を払ったわけですが、自分で消化しなければならないことが多いようです。