2018年8月2日(八段語録3364)

 午後から、保護司研修会があり、環境調整の報告書や通常の対象者の報告書の記入の指導を受けました。
それから、役員会の開催で、下半期のスケジュールの計画の確認作業を行いました。
保護司同士が、様々な問題に対応することで、見識が上がるというものです。
私も法務大臣からの委嘱が、平成13年ですので、足掛け18年の任期を迎えているのです。

数多くの対象者との面接を行ってきました。
面接期間中に再び犯罪に至るというケースもありました。
社会復帰するように対応するという事の難しさを肌で感じてきたのです。
それでも、このように長く保護司を継続させて頂いていることに感謝という事でしょう。

理由は、私自身が法律をしっかり守るという意識が、高くなっているのです。
私は、型にはまらない性格であり、どちらかと言えば多動性に近いような動きをするのです。
それだけに、交通法規を守り、社会に迷惑を掛けないという姿勢が徹底されたという事です。
定年は、七十五歳なので、あと十年はしっかりお勤めしようと思っているのです。

誰の為の保護司かというならば、対象者に対する資格ではありますが、結局自分に帰ってきているのです。
それだけに、日々の姿勢を正しくという意識が強く働くわけです。
それと、極真精神ですから、命懸けの日々の歩みをしようとしているわけです。
保護司と極真が実に正しくマッチして、自分の人生の指針になっているのです。

 さて、そのような意識がいい方向に行っているようです。
日々が自由であり、また平安を保てるという事だと思うのです。
この精神状態であるからこそ、夢と理想を追求することができるというものです。
私の生き方は、自由と平安を維持しているがゆえに、愛情を込めて接することができるのです。

日々の生活が、本性的なレベルまで引き上げられるというものです。
正しい精神態度であるがゆえに、心身一体という境地が生まれるのかもしれません。
極真空手を通じて人が行く道は、愛情を守っていく環境を作っていくのだと思うのです。
人が行くべき道が、いかに正しくとも良き環境がなければ、もっと上を目指せないのです。

確かに、空手の修行は厳しいのです。
その厳しさに負けないような、膨れ上がる情熱が漲り溢れなければ、喜びを感じることはできないのです。
時計の振り子のように、一度動けば、止まることのないような極真の修行をしなければと思うのです。
それだけでなく、動けば動く程、遠心力が付いて、大きな理想と夢を追うはずです。

極真空手の目的は、人生を正しく占領することです。
それだけに、動機がよく結果もよいように前進するというのが極真空手の意義という事です。
私が極真空手をしてよかったというのは、聞くにつけ、見るにつけ、触るにつけ、食べるにつけ、実に清々しい感性で対応できるのです。
それも、心の内部が爆発するのではないかという喜悦を感じるのです。

 確かに、私は狭い範囲の極真空手を人生の道にしたのです。
登山口のようにしたわけです。
もっと大きな範囲で人生戦いたかったという気持ちもあります。
それでも、一番住みやすい所が、極真空手という事だったのです。

みるみる体も大きくなり、強くもなりました。
そうすると、欲望が大きくなったのは言うまでもありませんが、余裕ができてくるのです。
独占欲というよりは、余裕がありますから、分かち合うという精神に広がるのです。
強さを求めたことが、分かち合うという事に至ったことは、人生の宝のようなものです。

そんなことを感じながら、暑い一日を終えたのでした。