2018年7月25日(八段語録3355)
アムステルダム


 私達一行は、ブリッセルから足を延ばして、オランダのアムステルダムへ向かいました。
かつて、手塚会長と世界に出かける時は、セミナーと道場生との出会いだけという事でした。
それで、世界の道場生の事をよく理解するためにも、現地を知るという意識を持ったのです。
伊藤師範と一緒であるという事で、安心感もあるのです。

ブリッセルから一時間半で、アムステルダムに到着です。
百万人の人口ですから仙台と同じです。
しかし、街全体が運河に囲まれて、世界中の観光客を迎え入れているのです。
ヨーロッパの古い町並みが、今も映し出されていました。
街中をゆっくり散策しました。

また、運河を船で観光してみました。
一時間程でしたが、街の由来から現在の状況まで船内の日本語でのアナウンスがありました。
夏の日差しを浴びて、爽やかな風が船内を通り過ぎていきます。
贅沢な時間を過ごしたのです。

船から降りて、川辺のテーブルでコーラを飲みながら、伊藤師範と他愛のない会話が続きます。
それが、何とも言えない至福のひと時になったのです。
夕方近くには、国立博物館へ向かったのです。
一時間あまりの時間しか無かったのですが、ゴッホの絵との対面は感動したのでした。

 色々頭の中を去来することがありました。
手塚会長が残してくれた理想を、どのように顕現させるかという事が去来しました。
「家族」という理念で、極真空手を世界に伝播するという事は、画期的な事です。
何故家族という理念が良いかというならば、自由な雰囲気と活動がなされるからです。

決して、官僚主義のような縦ラインを強調されないという利点があるのです。
世界に発展させるには、トップダウンという方式には限界があるという事です。
それもそのはず、人はだれしも「家族」を持つという事になるのです。
「家族」という囲いが、人を幸せにしてくれるというものです。

その「家族」を守るという事に関しても、自身の人格を磨き、愛する妻と子供達を大切にするという理念は武道にはあるのです。
万民が願うのは、良き妻と出会い家族を大切にするという事に他ならないのです。
手塚グループの理念は、家族に打ち込んでいるのであり、協調もしているのです。

まぁ、家族は最小単位の国家という事でもあるという事でしょう。
だから、私の場合においても家族を離れては何も成すことができないという事です。
まるっきり、私の場合、手塚会長に洗脳されているようです。
それが、会長と常日頃の会話になっていったのですから、話は尽きないわけです。

 考えてみるまでもなく、人の一生で大切な事は、生まれた時であり、結婚した時であり、また、死ぬ時という事でしょう。
それだけに、家族を中心に生きるという事は、強固な足場になるというものです。
個人として失敗しても、家族に守られたとしたならば、やり直しができます。
しかし、家族が崩壊したならば、途方に暮れて力がなくなってしまいます。

極真空手の良さは、心と体を収拾していい人間になろうとする修行することなのです。
それは、無理に強いるのではなく、喜びの中で自動的に良い人間になるという事です。
私も、空手の御陰で妻とよく話し合いをして、新たなる勇気をもらうのです。
自分では解決できない課題を、話し合いの中でより良き方向に導かれるというものです。

そのような伝統をいつの間にか立てて来たという事になるのです。
もうそうなると、主義や思想は家族に吸収されてしまいます。
むしろ、主義や思想を支配して凌駕してしまう勢いです。
そのような意味では、愛情の大いなる風呂敷という事にもなるのでしょう。

要するに、福袋みたいなものです。
妻との出会いは、宝くじで十億円当たった以上という事です。
宝の壺であり、愛情の風呂敷という事にも思えるというものです。
そんなことを考えながら、アムステルダムでの一日が過ぎていきました。