2018年7月24日(八段語録3354)
昔を振り返ってしまいました


 ヨーロッパのブルッシェルのホテルに泊まりました。
ホテルなのですが、三階に列車が上がっていて、その客室が宿泊所でした。
狭いスペースに向かい合うように席があるのです。
そこで、伊藤師範と私が宿泊したのです。

最近は、雑魚寝になって、休んだことが無かったので、刺激的でした。
若かりし、青春時代を思い出したのです。
放浪の旅を続けて、駅のベンチや公園のベンチで寝袋を使って寝泊まりをしていたのです。
宿なしでも、青春の夢は誰にも負けない程、大きく抱いていたのです。

地上最強の人物に出会ったのですから、心が打ち震えるのも無理なからぬ事です。
十七歳の時に、多くの道場生がいる中で、私もその場に存在していたのです。
打ち震える感動を押さえることができないという事は、こんな心境かと思えたのです。
話を聞く中で、自分自身が強くなることができるという確信から、涙も流れたのです。

当然、門下生になるという事は、並大抵のことではないと思っていました。
その時、私は仙台高校に通っていたのですが、退学覚悟での上京でした。
二週間程稽古をしていくうちに、確信に変わってきました。
人生を歩むうえで、これだという強い決意が心をよぎったのです。

 それで、歩んでみたら困難な道でした。
敗北と失敗の連続という事でしょう。
世間の厳しさに打ちひしがれる思いが大きかったのです。
何か月かして、苦労はどん底からという気持ちに変わって、開拓したという事です。

最初の私の立つ位置は問うならば、浮浪者のようでした。
何度も敗北するわけですから、暗闇をさまよう求道者のようでした。
恐ろしい、生命掛けの組手をするものですから、相手も私も疲労してしまいます。
それで、怪我に泣かされながらも、じっと耐えて頑張ったのでした。

それでも、昇級して行くわけですから、それに見合った実力をつけなければと焦るのです。
色帯をつけているわけですから、その色の帯に生命をかけるわけです。
それで、自分でレベルでないと判断すると、道場に通えなくなり放浪するわけです。
そんな連続が二十代中頃まで続いたという経験になったのです。

そのうちに、自信がついて、黒帯の審査に臨んだのです。
それでも、何度も失敗を繰り返し、昇段したのは二十八歳を過ぎてしました。
有段者になると、やっと生命をかけるような自主性を持つようにもなったのです。
極真空手の門を叩かなければ、こんな苦労はしなくてもよかったのではないかと、何度も振り返ることもあったのでした。

 極真の門を叩かずに、有名大学に入学していたならば、こんなにみすぼらしくならなかったのではないかと反省することもあったのです。
惨めない生命掛けの組手をして、何になるのかという発想を重ねたものです。
それでも、ふと我に返って、冒険の道、生命掛けの道を行くのにつらい顔をすべきでないと思ったものです。

男の価値はどこにあるのかとも本気で思ったものです。
まして、選手時代は、金もないので結婚もできないという事もあったのです。
それでも、襲い掛かる試練の道は、問題ないと決めたのです。
さらに、体力付き倒れても、堂々とした気迫だけは持とうという事にしたのです。

最後は、極真空手を止めなければ、必ず活路があると勇気づけてきたのでした。
親から見ても波瀾万丈という事でしたが、青春を無事に乗り切ったという気持ちはあるのです。
そんなことを走馬灯のように思って、電車ホテルで休んだのでした。
伊藤師範は、貧しい宿を、私を励ますように素晴らしいと叫んでいました。
何が素晴らしいかというと、私の過去を思い出させてくれたという事でした。