2018年7月23日(八段語録3353)
ヨーロッパ・セミナー最終日


 三日目の最初の時間は、体操ゲームをして、心からの交流を図りました。
昨年、私が「鬼ごっこ」の全体バージョンで楽しくしていました。
今年もまた、「鬼ごっこ」のバージョンアップ版で、三人で城を作って、城に入ると鬼は追っかけられないのです。
その城に入ったら、一人はでなければならないという規則を作っていました。

そこで、捕まえて人にタッチすることによって、鬼が代わります。
そのやり取りを十分間すると、もう汗が誰からも滲み出ているのです。
それから、移動稽古で突きと受けの稽古を丁寧に指導していました。
その稽古を見て、伊藤師範が修正を試みていました。

細かい空手の内容に関して、的確に指導しようとする意識が高いという事です。
私も前屈立ちの修正をさせて頂きました。
簡単な指導で、歩幅を長くとれば自然に腰が下りるという事で簡単な対応でした。
本人としては、楽ではないのですが、簡単にヨーロッパの道場生の腰を落とすことができました。

その後、突きの稽古で足の運びを重点に指導です。
また、三本蹴り、五本蹴りを何回か往復して終了です。
昼食を終えてから、最後のセレモニーを行いました。
ノルウェーの支部認可状とヨーロッパが出している昇級・昇段の仮認定証の授与でした。

 あっという間に、無事にヨーロッパのセミナーを終えることができました。
最後の時間で、セミナーでの私のメッセージは、三つありました。
一つは、手塚グループは家族であるという意識を徹底することです。
二つは、手塚会長を中心に一つになるという事です。
三つは、極真の修行を通じて、夢をもって喜ぶことができる道を開拓することです。

それで強調したことは、空手の修練をするのですから、道が必要であるという事です。
空手道を通して、本来持っている自我を確立するという事なのです。
別に修行をしなければ、何も満たれることは無いというだけなのです。
それでも、可能性を求めて自分を追い込むという事は、修行として大切な事なのです。

空手の修行は、生活する事とは異なり、肉体と精神の教育指導という事になるのです。
人は、食べること、生きること、それから恋愛することは教えなくともするのです。
生理現象として、このような作用をなすように仕組まれているのです。
それは、教育する必要もない事なのです。

しかし、極真空手の修行となると、そうはいかないのです。
心身を錬磨するという事になると、一人ではできないのです。
ましてや、夢と理想を求めるという事になると、次元の違う教育が必要なのです。
それだけに、学ぼうとする意識を高めなければ、上達はしないのです。

それだけに、修行者であるという意識は徹底すべきなのです。
その願いを求める心が多ければ、道場生の力が増して夢へと向かっていくのです。
それだけに、準備が必要であるし、出発の決意は、既に勝利しているというものです。
そこには、説明する必要もないのです。

方法、手段、万全な準備は、階段を上っていくための原動力になるのです。
いかに、一人一人が、修行者としての意識を高めていくかという事が課題なのです。
それを指導するのが、先輩であり、先生であり、師範という事なのです。
いかに、修行をすることの意義が素晴らしいかという事を自覚させるのです。

それができなければ、指導者失格という事になるのです。
道場に来て、「飲み会」ばかりを重ねるようでは、何の意味もないという事です。
そうすると、「稽古をするな」といっても、隠れてもするようになるのです。

指導者は、道場生がしっかり育つまで、心は道場生に拘束されるのです。
そうするのが、本当の指導者という事なのです。
このような気持ちは、真剣な問題なのです。
そこに、指導者としての醍醐味があるのかもしれないのです。