2018年7月22日(八段語録3352)
セミナー二日目「審査会」


 昇級試験と昇段試験が同時に行われました。
体力測定、基本、型を中心に午前中審査が行われました。
今回は、伊藤師範が同行しているという事で、最後に型の模範指導を行いました。
見事な型を披露したという事で、受験者は異口同音に素晴らしいと言いながら、自分の型を再検討していました。

本人が、挑戦した全ての部門での審査を終えて、モデルケースの典型としての型を見るのです。
審査対象者は、自分の足らなさを自覚して、新たな段階に進んでいく決意が滲んでいました。
審査対象者は、五段が一名、四段が一名、そして初段が六人という構成での「段テスト」です。
二時間に及ぶテストでしたが、対象者が一生懸命に取り組んでいる気概を感じたのです。

午後からは、私からの「組手の受け」の講座が入りました。
ガチガチの組手をするヨーロッパメンバーに対して、「受け」をしっかり指導したのです。
その受けは、サポーターをすることなく、自然の手足の「受け」の技術を学んで貰うのです。
何度も練習する中で、何とか理解して頂いたように感じ取れました。

その後、昇段対象者の試練が始まります。
結果、百人のメンバーとの組手を余儀なくされます。
段位の高い昇段の挑戦者に対して、容赦なく後輩が挑みます。
それでも、最後まで戦い抜いて、審査が終了という事になりました。

 さて、審査を通じて感じるのは、この審査の伝統を立てたのは、手塚会長と私なのです。
その過程を通じて、大山総裁に近づいていくという道を追及してきたのです。
だから、道場生として願う事は、大山総裁が地上最強である修行に至る道なのです。
そして、私の場合、総裁直接の指導と残してくれた理念をベースに修行をしてきたのです。

今でも、池袋の総本部で声を掛けて頂いた内容と理念は、宝石以上の輝きがあるのです。
私の青春の全てを極真空手に投入したのですから、総裁からの一言が生命になっているのです。
それによって、自分の弱さを克服して、自分自身はもとより、「私の環境の全てを正したい」という思いになるのです。
総裁が存在することによって高いレベルになって、現状が理想ではないという事での修行になったのです。

それだけに、環境のつらさがあっても努力したのです。
それは、私自身の威信の問題であり、権威の問題に引っかかることでした。
それだけに、真剣な修行期間という道を通過しなければならないと思えたのです。
引き上げてくれた大山総裁と、私との両者が一致して修行の道を推し進めたのです。

修行者として昇段は実に意味が深いものがあるのです。
そのような意味では、大山総裁の代わりに、ましてこのグループの創始者である手塚会長の基準を満たすことができるかという事が大きな一致点になったのです。
私自身、手塚会長が求める一点に向かって修行をしてきたのです。
その一点が結ばれて、八段という段位を頂いたことを、今でも忘れることができないのです。

この八段の段位という一点に、誰が責任を持ったかというならば、手塚会長なのです。
もちろん、段位を頂いてそれに恥じないような生き方を継続してきたのです。
それでも、私がこの段位に責任を持つことができるかというならば、否なのです。
あくまでも、手塚会長と私の共同責任であり、手塚会長が、無条件に認めてくれたからに他ならないのです。

この時点において、手塚会長が認めてくれた八段は、私の威信と権威に連結されたのです。
何もない私の人生に光明を与えてくれたことに間違いはないのです。
確かに税理士になるか、それとも師範になるか悩んだことはあるのです。
私の場合、国の認定よりも、手塚会長の認定を選択したという事になるのです。

ここにおいて、指導者としての内容と、指導方針を授けてもらったことになるのです。
私は、極真における新しい時代の指導者として認識できたのです。
自分自身の人生において、手塚会長との出会いが「成功と希望」のレベルを満たしたのです。
そして、その段位を抱いて、落胆したことが全くと言っていいくらい無いのです。

そのような気持ちを抱いて、この昇段試験に臨んだことは間違いないのです。
私自身、いままで段位を頂いて、人生の実験を重ねてきたのです。
それで、手塚会長から頂いた段位に恥ずかしくない生き方をしているのです。
そのレベルを、今回の昇段者には求めようとするのです。

私自身、このような気持ちで、この審査会に臨んでいるのです。
この審査会で、私が必要であるという理由があるのです。
それだけに、真剣に審査会を見守ったという事になるのです。