2018年7月12日(八段語録3342)
どんな行動でも責任が伴う


 何かが表面化した時に、その時は間違いなく責任が伴うという事です。
それでもって、公的立場を辞めなければならないこともあるという事です。
また、交通事故を起こせば、過失割合という事も含めて責任が問われるのです。
全ての行動を起こすことによって、責任を逃れることはできないというのが私達です。

それでも、全責任を抱いて、このグループ丸ごと愛情を注ごうと決心しているのです。
その気持ちを、現場の本部長達が感じてくれるかどうかは分からないのです。
もしそれが、権威であるとしたならば、最高の権威で取り組もうとするのです。
それだけに、最高の愛情と最高の権威を抱いて、責任を全うすることだけを意識するのです。

それで、何故責任を持たなければならないかという事を自問するわけです。
理由はいくつもあるでしょうが、責任を持っているがゆえに、創造性も増し加わるというものです。
あらゆる企画を練りながら、このグループを最高の存在にしようとするのです。
それは、責任を持たなければ、生まれてこない、心の発露という事にもなります。

それは、このグループを管理していこうとする一つの鍵になるのかもしれません。
他の団体で問題になるのも、この責任問題という事なのです。
公金が正しく管理されてなく、追及されて責任を取らされるという事もあります。
そのような意味では、このグループの運営に正しく偉業に加担するという事なのです。

 さて、私自身、一瞬で信用を失うという事は、極力避けようと思うのです。
私自身の行動によって、このグループへの価値が増し加わるかどいうかという事なのです。
正直、責任ある行動に関しては、許しはないのです。
それ故に、何もしていないようでも責任が押しかかってきて不自由さも感じてしまうのです。

この責任に関しては、誰からの助けもないという事です。
理由は、全責任が私にあるという事なのかもしれません。
それだけに、スタッフからの助言や指摘が必要不可欠なのです。
そして、今までのこのグループの理想を凌駕するだけの夢のパワーが必要になるのです。

もし、私が責任を持たなかったならば、ただ流されてしまって収拾がつかなくなるのです。
もちろん、スタッフは、私が意見を聞かなければ、応えてくれるものでもないのです。
私自身、スタッフに意見を求めるという作業は必然的に必要になるのです。
その事をせずに、独裁するという事も可能ですが、それでは責任は果たせないのです。

私がスタッフに尋ねるという事は、実に自由なのです。
しかし、訪ねないで決断したとしたならば、多くの失敗を共有してくれないのです。
多かれ少なかれ、失敗は尋ねることなく行動して失敗するというケースが多いのです。
それだけに、私自身が先走ることなく、多くの意見に対して、聞く耳を持つという事です。