2018年7月10日(八段語録3340)
一生は短い


 手塚会長がこの世を去ったのは、昨日のように思うのです。
会長と共に歩んだ二十数年間、実に短いと感じてしまいます。
そして、あっという間に、手塚会長があの世に行ってから一年半が過ぎてしまいました。
そんなことを考えてみても、人間の一生は短いのです。

会長と共に歩んだ二十数年は、いつ過ぎたのかも分からなくなってしまいます。
会長と共に、高い志を抱いたのが昨日のようです。
そして、今となっては、その期間に全てのものが決定されたようにも思えてならないのです。
それだけに、人生の道は、過ぎ去ってしまうだけで決して待ってくれないようです。

繰り返し思うですが、一年半前に、手塚会長はあの世に去ってしまいました。
当たり前に、人は間違いなく一回は死ななければならないのでしょう。
死ねばどこへ行くかというと、まだ行っていないので分からないという事です。
それでも、今の手塚グループを主導しているのが、ひょっとしてあの世からの指示で動いているようにも思えてならないのです。

確かに、かつて手塚会長と話したようにこのグループは動いているのです。
世界で餃子を料理しながら、いつの間にか世界を料理しているようです。
手塚会長の後ろ盾を得て、今のグループの運営をしているのです。
それだけに、私があの世に行ってからどのような報告になるのかが楽しみという事でもあるのです。

それで手塚会長の前に立って、合格するかという不安もあります。
私の心は、完全に合格することができるか、不完全に合格するかという事です。
要するに、落第生になって、不合格になる可能性が大きいという事です。
今の時は、旅人の旅路のようなものと思っているのです。

話は変わりますが、私の娘達も、いろいろな道を通過しています。
女性として、私達夫婦から生まれ育ち、歳月が歳を取らせて、関西で生まれて育ったのです。
いずれ、男性と出会い、共に道を歩みながら愛を通じて子供を産むようになります。
さながら、苦労して、大きな荷物を背負うようにして、苦労しながら歩んでいく事になるのです。

ところが、いつ立ち止まって、立ちすくんでしまうかもしれないのです。
険しい岩の道を通るような事になるかもしれないのです。
それでも、見守っていくのが私達夫婦です。
見守ることに関しては、決して逃げないようにするのです。

当たり前に、故障すれば、それ以上進めないのです。
それを修理しなければならないのです。
修理する能力をいつも蓄えていくという事が、私達夫婦の役割という事です。
その力や能力がないので、私達夫婦は、何十年もかけて、培う以外にはないという事です。

その対応が遅れるとするならば、娘は精神的に死んでしまうのです。
そのような旅路が待っているのです。
時には、旅館に入って、色々な人と出会ったりもします。
また、立ち寄るところもあるというものです。

娘の人生をどれだけ守ってあげることができるかという事だけが、私達の希望です。
一生というものは、本当に早いような気がします。
物事が見えてきて、世の中の事情が分かり始め、何もしていないうちに六十五歳です。
日々の生活を見ても上がったり下がったりです。
色々考えて、今日も終わりました。