2018年7月8日(八段語録3338)
息子初陣


 ジパング大会が大船渡の中島師範の琢磨会で行われました。
この大会に一般中軽量の部に、息子がエントリーしました。
また、道場の一般部の選手が一緒に参加していました。
息子は、十年前に北海道で大会に一度出場していましたが、自分の意志ではなかったのです。
今回は、自分の意志で出場するという事なので、初陣という事にしたのです。

仙台から岩手県の大船渡まで、三陸道という高速道を使っても三時間はかかるのです。
息子は一人で、緊張した趣で会場に向かいました。
私と娘そして嫁の茂奈さんと孫たちは、私の車に便乗していくのです。
六時半に出発して、開会式にぎりぎり間に合う九時半に到着することができました。

今回のジパングの大会の参加選手は二百六十名でした。
少年部から一般部まで熱戦が繰り広げられました。
宮城県本部からは、四人の一般での参加という事になりました。
息子は一般部という事で、試合の組み合わせは後ろの方での出場でした。

息子は一回戦不戦勝ということでした。
二回戦、二分間しっかり実力を出し切って、最後まで立っていたという事でした。
初陣としては、本当に頑張ったという事で褒めてやりたいという気持ちになります。
これから、試合回数を重ねていくごとに、内容が充実するのだろうと思うのでした。

 さて、息子の試合出場を指導者として親としても、心待ちにしていたのです。
去来していたことは、系図で基本的には、武道家の血筋を受け継いでいるという事実でした。
母方の父は、剣道六段の腕前で、選手時代は、宮城県でも優勝を争っていたのでした。
私も、その血筋は疑いもなく引き継がれて、全日本に参加するようになったのです。

そして、源流を辿ると、伊達家の武将という事で、石高を頂いていたのです。
泉ヶ岳の麓に狩場があって、その多くの武将の接待をしていたという事を聞いているのです。
そのような武将としての流れが、息子にも受け継がれているという事なのでしょう。
息子の試合は、判定負けで終わりましたが、これからの成長が楽しみです。

このように、試合に参加するまでに息子が成長したという事を誇りに思うのです。
息子は、決して選手として有望であったという事ではなかったのです。
幼年から空手を始めて、二十九歳の彼が試合をしているという事に感銘を受けるのです。
それも本人自体で、今後極真空手の指導者として将来を決めているのですから有難いことです。

それもこれも、子育てがうまくいったからというのではなく、本人が選んだ道が武道の道であったという事なのです。
私にとって、大切な息子が同じ武道の道を歩んでくれたことだけでも幸せという事です。
息子の試合の様子を見ると、昔の私の選手時代の事が思い出されるのです。
私も初陣は、勝つという事が無かったのでした。

 それが、出場回数を重ねていくごとに、勝負勘が生まれて勝つという事にもつながったのです。
そんな過去の自分と合わせるように息子の戦いぶりを眺めていました。
私の人生において、息子にこのような教育ができるとは、夢のような事です。
息子が大会で試合をしているという現場を直視することは、何物にも代えがたい天からの贈り物のように思えるのでした。