2018年6月23日(八段語録3323)
娘達を愛情で


 我が娘達のゆくべき道を、親が何を言おうと娘達が責任を持っていくべきことです。
親として、今まで愛情を注いできたという気持ちに変わりがないのですから、見守るだけです。
娘たちにとっては、唯一無二の父親として存在しているのですから、それはどんなことがあっても変わらないわけです。
そのような意味では、私の娘達は、至高至善の位置にいるという事にしているのです。

どんなことがあっても、娘達と関係を持ち続けるという事には変わりがないのです。
それも、父親として低俗な生き方はして来ていないという信念だけがあるのです。
娘達と愛情の関係を結ぶためにも、人格的内容を磨いてきたということなのです。
娘達も大人になって、今現在進行形として、世間と向き合うのですから、それは頼もしいものです。

娘達は、愛情の対象として、見守るという気持ちには変わりはないという事です。
こんな気持ちで、生活するのですから、驚くべきことなのかもしれません。
そして、娘達の行動の一つ一つを眺めても、私達夫婦に似ているという事なのかもしれません。
率直な私の娘達に関しての感想は、心と体の素性が自分達に似ているという事のようです。

娘達の全ての生き様が、何であれ共有することにしているのです。
それだけに、娘達の行動を眺めながら、一喜一憂するという事にもなるのです。
それは、どんなことがあっても分かち合うという事に他ならないのです。
ゆえに、人格が磨かれる日々を送らざるを得ないという事にもなるのです。

 さて、これから娘達とどのような関係を持たなければならないかというならば、娘達と同じ気持ちにならなければならないという事でしょう。
同じ素性のある親子として、共同目的を持ちながら、どんなことがあっても見守るという事です。
私と性別は違いますが、娘達と同じような品格があるという事です。
娘達が喜怒哀楽を感じているのですから、共に感じていく事にするのです。

そして、いつの間にか、最高レベルの生き様を求めている父親なのかもしれません。
どんな状態になっても、彼女達の生き様を応援しようとするわけです。
人生を具現化している彼女達ですから、目標や生き様に関して、関心を持つのです。